生命は常に動き続けていて、生命である人間も常に変化し動き続けているらしい。生命には、はじめも終わりもないという。

また、人の認識は、関係性があってはじめて成り立つ。

 

ふつう、人生は生まれてから死ぬまでで終わりだと考える。

しかし、大宇宙、生命の立場から見ると、一人の人間の人生は生命現象の中の途中である。

 

大宇宙、生命の中の人々のありよう、関係性を美しい絵と図柄で表したものが、曼荼羅である。

言語化したものがお経や説法であり、コミュニケーションでの表現が問答である。

音楽や踊りといった、音のゆらぎや動きを使って表現するのが能、狂言などの古典芸能である。

 

落語は、一人で複数の人間の関係性を言語と仕草を使って表す。つまり、曼荼羅=生命現象のありようと、風=動きを、落語家という人体がプロジェクターとモニターとなって、音声言語と動きで、ある日の人々の暮らしぶり、出来事のひとコマを表現している。また、人生の途中を描写しているので、物語のはじめと終わりをはっきりと描かない。

そして、高座という空間で、演者と客との温かい関係性の中で、さらに生き生きと描かれる。


落語は、ちょっと立ち止まって、庶民の日常の何気ないひとコマを見せることで、日常の人々との関わりこそが人生であり、そこに喜怒哀楽があり、生きていることであると教えてくれる。