人類は、多種多様な個性を持った個々人が協力して、集団として進化してきた。
同じ志を持つ協力的な味方同士が集まって、組織は強く育つ。
〈個人の限界〉
ワンオペは能力の高い個人であれば、効率的に素早く高い品質の商品を提供できるが、一人では生産量に限界がある。
完全分業制の組織運営は、短期的に見ると効率的で生産性が上がる。
だが工場生産の機械などの場合、同じ部分だけを駆使するので摩耗し、部品の交換をこまめにしないと壊れやすい。
人間の働き手も同じで、役割を変えずに同じ人間に同じことばかりをさせると、消耗が激しく、長続きしない。定期的なローテーションが必要となる。多様なタスクを経験することで、個々人の得手不得手がわかってくる。
専門性の高い組織は、質の高い商品を大量に生産できるが、その商品が時代にそぐわなくなり、多くの人にとって必要性がなくなると、どんなに良質な商品を提供していても、組織もろともつぶれる。
組織の歴史が長く、大きくなればなるほど、時代にそくしたサービスの多角的展開が必要となる。
専門性に特化し過ぎると、ターゲット層が絞られるため、多くの顧客を獲得するのが難しくなり、生き残りにくい。
商品の品質管理だけに過剰に資産を投入すると、組織として長く生き残ることはできない。
ターゲットとする顧客の範囲設定と、個人の能力の限界点のギリギリまでを発揮できて、集団が協力して連携できる資産配分のバランスが、組織の大きさと寿命を決める。
多様性を持つ個人個人が、目的完遂のための適切な人数の集団を作り、各々が得意分野の専門性を果たしながら成長する集団が、強靭な組織を作る。
〈個々人の中の多様性〉
人類は、自然のサイクルの中の部品の一部として、個人個人の寿命という新陳代謝を繰り返して、進化してきた。
人間の寿命は、何万年もかけて決められてきた。
多様性を持つ人間が一番強い。
個人の中に、どれだけ多様性を持っているかが、人間性の幅を広げ、どれだけ傷跡を残したかが、人間性に深みを与える。
たくさんの事柄に興味を持ち、たくさんの痛みを経験した者が、あらゆる場面で生き残る智慧を身に着ける。
〈多様性の根幹は愛し続ける体力〉
多くの事物を愛し続ける体力を温存する技術を身に着けることが、多様性を持つ人間の根幹となる。
ヒトが他の動物より未熟に生まれて成熟に時間がかかるのは、多くの者に愛されながら、事物を愛する基礎体力を仕込むには時間がかかるためである。
環境は無限の変化の可能性があり、その可能性全てに順応し得るために赤ちゃんは、敢えて未熟な状態で生まれる。
生まれた時点では、同じ年の人間同士の実力差は少ない。
生まれ出たというだけで、すでに地球に生まれる能力を持っている。
多様な精子と卵の無数の組み合わせの中から「生まれるという実力」を持っている。
赤ちゃんが次に身に着けるべきは、母親が次の子どもを身ごもるまでに、母親の手を離れる技術である。
そのためにはスピーディーに基本的神経回路をつなぎ、まずはその環境における生存能力を素早く身に着けなければならない。
この時点で身に着けるのは、母親以外の者にも擁護されるための、多様な者から「愛される力」である。
ある程度一人で動けるようになると今度は、人見知りが始まり、怖がることで危険な大人を察知する能力を身に着けていく。
多様な者に見守られ環境に順応していきながら、徐々により広い世界に出て、様々な事物と出逢い、愛すべきものと忌避すべきものを学んで、多様な事物を「愛する力」をつけていく。
〈年をとってから能力差が出る〉
年齢を重ね、たくさんの多様な経験を積むことで、その能力差はどんどん大きくなる。
多くの経験の中で、自分がやっていて心地よい、ワクワクする分野がわかってくる。
好きな事物に出会うには、たくさん経験するしかない。
たくさんの経験の中で、能力が身についていく。
多様な経験なしにクオリティの高い専門性を発揮することはできない。
その意味からも、幼少期に多様性を育み、思春期以降徐々に専門性を高めていく教育システムは、理にかなっている。
人が年をとってから、尊敬される長老となるか、社会の厄介者となるかの分岐点は、一つや二つではない。
自分で道を切り拓いた数が、その人間の大きさと奥深さとなる。
生まれた時点でハンディを背負っていても、その後の生き方で、他の人間の能力を追い越せる人間に育つ可能性を持ち、多様な環境に適応できるのが人間の特性であり、強さである。
〈多様性を育む上で、幼少期の遊びは必須〉
簡単に正解が出ることばかりをすると子供は成長しない。
その意味で、幼少期にたくさん遊ぶことは必須である。
遊びの正解は無数にある。自分と友達の面白いと思う頂点を探るのが遊びである。
子どもたちは遊びの中で、仲間と面白がる能力を身に着けていく。
面白がる能力こそが、人間が人間として生きる能力の根源である。
子供時代に、どれだけ遊んだかで、どれだけ人生を面白がれるかが決まる。
遊びの中でいたずらをする事で、善悪を学ぶ。
いたずらして失敗することで、冗談と暴力、面白味と危険性の境界線を学ぶ。
いたずらが、いたずらとして受け取られないという体験から、同じ意識レベルの仲間をかぎ分ける能力が身につく。
いたずらが通用せずに悪事として受け取られた時の罪悪感を実体験する。
他者を傷つけたことで自分が独り勝ちして利益を得ても、友だちは離れて行く。
悪事を働く事で、自分自身の心に深い傷跡が残る。
他者を傷つけてしまったという罪悪感から、善悪を学んでいく。
人は遊びの中で、他者を傷つけることが、一番自分を深く傷つけるという体感を、身体の奥深くに刻み込む。
そうやって、カネにならない遊びをたくさんすることで、将来、カネを生む人間に育っていく。
これが「子供は、遊ぶのが仕事」と言われるゆえんである。
この観点から、幼少期から特定の能力に特化した専門性の高い英才教育のみを施すのは、幼少期の多様性の成長を阻害するので、子供の人生にとって、非常にリスクが高い教育方法だと言える。
一つの可能性のみにかけるのはリスクが高い。
子供の回復能力は心身ともに高い。
子供のうちの挫折体験の数が多いほど、打たれ強くなる。
〈悪人と善人を見極める能力〉
悪い大人と全く接したことの無い子供も、大人になってから騙されやすい。
本当にヤバい危険な大人とは、見た目は美しく、頭の切れる、私利私欲のカタマリで出来た大人である。
奇行に走る汚い変人や強面の人間より、見た目は知的で美人やハンサムでも、私利私欲のためなら何でもするような、エネルギーが溢れるギラギラした人間が一番危険である。
私利私欲人間は、怪しげな輝きを放ち、人々を惑わせる魔力がある。
私利私欲とは、飢餓状態の人間の自然な欲求で、自分一人だけを愛することである。
だが独り勝ちの商売は信用を失う。
需要者と供給者のお互いがウィンウィンの関係でなければ、商売は長続きしない。
私利私欲による成功は、短期的には命をつなげるが短命である。
貧乏な者は私利私欲に走らなければ生きていけないため、貧しい者ほど私利私欲に走る。
私利私欲に走る行動だけを続けると、他者から信用されなくなり、誰も寄り付かなくなって、味方がいなくなる。
そして、最終的に精神的飢餓状態に陥り、心を埋めようとして、私利私欲がますますエスカレートする。
こうして貧乏のどん底から自力で這い上がってきた者ほど、私利私欲のループから抜け出しにくくなる。
貧しい国々で戦争が終わらず、貧富の格差が凶悪な犯罪を生むのは、このためである。
私利私欲の人間だけで構成された集団は、精神的つながりが希薄なので、結束力が弱く寿命が短い。
私利私欲で成功すると、人間として尊敬する者ではなく、お金に寄ってくる者に囲まれる。
心から信頼できる本当の仲間が誰もいなくなり、四面楚歌に常に追い込まれた精神状態となり、心身ともに疲弊し、身体を壊しやすい。
〈私利私欲の主張の言い訳に主義の曲解が利用されている〉
私利私欲がまかり通る社会とは、個人主義の資本主義とも言える。
または、カネを握った者を君主とする独裁体制の全体主義。
あるいは、カネという領主が統治する封建制度とも言える。
共産主義と資本主義、全体主義と個人主義等々、何々主義の主義主張は、どれも理論上正しい。
しかし、どの主義も人間が私利私欲に走るのを抑えることはできない。
人間の私利私欲の暴走を抑えるには、経済政策と社会政策だけでは不十分である。
「特定の人間に利益が滞るのを防ぐ仕組み」とセットで行わなければ、人間の自分だけの幸せを求める意識が暴走し、貧富の格差が必ず起こる。
〈日本と世界の現状〉
日本で80年間戦争が起こらなかったのは、敗戦の悔しさを乗り越えようという国民の一致団結した気概があったからである。
その気概が皆を協力的に働かせ、日本国内での私利私欲に走る者を抑えられたから、海外への経済攻撃となって、日本は経済大国になれた。
私利私欲を抑える能力を養うことをなおざりにして、「資本家になる技術力に特化した」英才教育が盛んなご時世である。
いわば、私利私欲の金の亡者を育てる産業が金を儲けている状況とも言える。
カネにこびへつらい自分で自分を傷つける人間に育てるための英才教育に、多くの資金が投入されている。
独り勝ちして大金を稼いでも、人は不幸に陥るということを歴史が物語っている。
どす黒いカネの循環が人々を奈落の底に叩きつけるさまを、さまざまな芸術作品などが描いてきた。
今、人類全体は、貨幣を神として崇める一神教に向かっており、信仰の多様性が失われつつある。
宗教も経済体制も社会体制も貨幣も、全ては信じるか否かである。信仰の対象と言ってもいい。
皆がその価値を信用しなければ、有効性をなさない。
全員が貨幣価値を信じているから、貨幣が効力を発揮する。
人は、裏切られるとその価値を信用できなくなる。
人間を信じられない、貨幣の力が有効な世の中では、一番信頼できるのが貨幣なので、貨幣を信じるしかなくなる。
人類は様々な経済体制、社会体制、宗教を信じては試してきたが、私利私欲の力によってことごとく崩壊してきた。
私利私欲のエネルギーを抑える力を持った信仰の対象が少なくなってきている。
そして今、経済大国の個々人の寿命は長くなったが繁殖能力は落ちている。
このまま人間の力を信じられない人類が増え続けると、人類全体の寿命が早まる危険性が高い。
〈本当の人間の英才教育とは〉
悪い大人や善良な大人まで、様々な主義主張や信仰をもった、多種多様な人間に愛されて、私利私欲にまみれた本当に危険な悪い大人との距離感を学ばせながら、幼少期に子供をとことん遊ばせる事が、人を愛し続ける基礎体力をつけるための、一番最初に行うべき英才教育となる。