今日5月14日は、

母の命日でした。

もう50回忌も済んでますが。

法事もいつからかしなくなりましたね。



私はまめに納骨堂参りをしています。

今日も行ってきました。


いろいろ話したい事を話して来ました。




父も亡くなってますが、私は姉との縁を切っていて、もう身内はおりません。




どんな苦難にぶち当たっても、身内はたすけてはくれませんでした。


助けてくれたのは、その時々の友だちや、行政の人たちに助けられてここまで生きてこれました。



親だから、兄弟だから、親族だからっていろんな家族いるでしょう?


毒親とか、離れた方がいい場合もあります。




私は両親の納骨堂には入れません。

これは姉が決めた事で、葬式はしないで、といったのは私です。



なので私は、同じ敷地内の無縁仏塔に入る旨を、住職さんにも伝えてあります。



1番お参りに来てるのが私なので、住職さんは「なんで?お父さんお母さんと一緒に入りたいやろ」と言ってくれましたが、「家族が決めた事なので」と言いました。




親戚付き合いもほとんどなかったし、母の亡き後、私は家を追い出されました。


ずっと知らないところで一人暮らしをし、結婚をし、離婚しましたけど。




でも、苦しかった兄姉の中にいるのが、ずっと苦しかった。




でも、もう恨みなど全くありません。



あかの他人ですから。




今では一般企業に障がい者手帳オープンで、再就職をし、友だちもでき、れいわ新選組の奥田ふみよさんのデモクラメイトもしております。



こんなに自由に生きられるのなら、もっと早くに

絶縁すればよかったとさえ思います。




助けてくれたのは

行政の人たちです。





今は前を向いてしつかりと自分の道を歩んでいます。



そういう気持ちを両親に伝えて来ました。




大人になってわかったこともいっぱいあって、

母は父に暴力を受けて、恨みながら亡くなったと思いますが、のちの父を見てると、母のことだけをずっと愛し続けたんだとわかりました。

だから、愛情表現が下手なだけだったと思う。

父は最後に私に言いました。


「すまんな、お前には苦労ばかりかけた、だけどお前が1番強か、、、」と、謝ってくれました。


他の父の子供たちは全く知らないことです。



私はお父さん、お母さんの子供に生まれて良かった。来世もきっと家族になろうね。




強くそう思いました。







ありがとう😊