本の執筆の合間に更新します!

今日も、ちゅうつねカレッジを覗いてみて、
お金や成功について、ババババーッと浮かんできたことのつづきを書いていきます。

思ったよりも時間のかかるシリーズになってしまっているなあ・・・。


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ホームページやメールマガジンでコラムを書くようになり、
小さいとはいえ、自分の活躍の場を見つけることができた私でしたが、
収入にはまったく結びつかず、
客観的に見れば趣味や自己満足の範囲であることに不満を持っていました。

だから、
アイちゃんと「金欲しい~!!」と言い合っている現実は変わりませんでした。


そこに、悪魔からの素敵なプレゼントを受け取ったのでした・・・





ここから話がさかのぼりますが、しばし、おつきあいください。


子供のときから私は、常に心が苦しく、生きているのがとても大変でした。

たとえば、ひどい風邪で39度の熱が出ているときを想像してみてください。


全身が熱くほてり、体中の節々が痛く、

少し動くだけで頭がズキズキ痛み、

トイレに行くにも足元がふらつくし、

もうろうとしていて、むずかしいことなんて考えられません。


こんなときに、

たとえば学校や駅から、歩いて家に帰るとしたら、

ゼエゼエいいながら、足を一歩一歩前に出すことしか考えられない。

周りに美味しそうなお店がオープンしていても、目に入らないし、

そんなことどうでもいい。

とにかく、苦しい、痛い、熱い、ヨレヨレ。

帰って横になりたい。休みたい。


そんな状態になりますよね。


私にとって、ただ日々生きることが、そのような状態だったのでした。


朝起きて学校に行くのがつらくて、
みんなが何を話しているのか、よくわからない。
苦しくて、必死。
学校が怖い。

頭がボーっとして気絶しそうになり、授業中は寝ている。

休み時間と給食と終業だけが救いなので、

その時間をひたすら待ちながら、息をしている。

友達はほとんどいない。

男子からは毛嫌いされている。


帰ってくると、ヘトヘトのフラフラで、朝まで寝る。

朝になっても、心身が鉛のように重くて、

起きたくない、行きたくない。休んでいたい。


人生において私の内面には、
安らぎとか穏やかさといったものが、
ほとんどありませんでした。

真夜中、暴風雨が吹き荒れる中、

半分吹き飛ばされた小屋にしがみついて

汗だくで、歯を食いしばり、

吹き飛ばされないように足を踏ん張っているような、

毎日、私の心象風景は、そんな感じでした。





先天的な体の持病もあり、

遠足や運動会、体育の授業では、

みんなと同じように歩いたり走ったりができなかったり、

中学1年生のときには登校拒否気味になったこともありましたが、


そんなとき、先生や父親から、

「甘え」「怠けるな」「気持ちの問題」「みんな大変なんだよ」

などと言われました。


でも、みんなが、同じくらい苦しい思いをして生きているようには

どうしても見えませんでした。

(実際に大学に入ってから
友人たちに「毎日苦しい?」と質問したところ、おおむね、

「うーん・・・、大変なこともあるけど、
基本は楽しくも苦しくもなく、普通かな」


のように言われました)


「私は甘えてない。

本当に苦しいんだ。

つらいんだ。

だけど、誰もわかってくれない」


という考えと、

「私の甘えなのだろうか・・・」

という考えが、

行ったり来たりしていました。


どこにも逃げ場がなく、生きることが拷問でしかありませんでした。

初めて自殺を試みたのは、小5のときでした。


メルマガをはじめてから、
「若者たちの心の闇」というテレビの特集で
私のことが取り上げられたことがあります。

私のような人を「生きづらい人」というのだそうです。


そんな状態でも学校や仕事の成績がよい方だったので、

自分にハンデがなかったら、

いったい、どれだけの結果が残せるのだろう、

どれだけ成功できるのだろう。

本当の私はすごいのに!!

本当は!!

本当は!!!!!


という、自分に対する多大な幻想を抱いていました。


この苦しさのせいで、全然力を発揮できない!

ゴミとしての人生を送らざるを得ないのだ・・・!

ああああああああ!!!!



という、ぶつけようのない悔しさと恨みつらみで

心の中は、いつもドロドロ、暗くて黒い気持ちでいっぱいでした。


そんなふうに毎日、苦痛が突き上げてきて、

素の状態でいられないので、私は酒に逃げていました。


高校をやめた16歳のころ、

深夜に叫び出したくなり、

家の外に出て、自販機でワンカップを買って、

飲みながらフラフラと片道1時間くらい歩いたこともあります。


気づいたら、ふたの切り口で指を切っていて、

帰りは道路に血をポタポタ垂らしながら歩いていたことを覚えています。

(でも酔っているから、あまり痛くない)


また、同じころ、

親には河合塾で自習をしに出かけるといって家を出て、

友達とクラブに行って、

カクテルをバカバカ飲んで泥酔し、歩けなくなり、

店員二人に両脇を抱えられながら店の外に出され、

駅のホームにじかに横たわって寝ていたこともあります。


大学に入ってからも、

昼休みに自転車でアパートに酒を飲みに帰って

カルーアミルクをゴクゴク飲み、

午後の授業はできあがっていて、

顔がほてって、頭がふわふわした状態で出席したこともあります。


コールセンターで働いていたときも、

毎朝水割りを飲んで、

ようやくうつ状態がましになり、

着替えたりなどの準備ができるのでした。


私は、酒とタバコと男に依存していました。


さあ。

そんな私が、ビギナーズラックで24万も手に入れちゃったよ!

楽しいねえ!

夢中になれたねえ!

熱くなれたねえ!!

そして、なんといっても、金!金!金!!

大金が手に入っちゃったよねえ!!


・・・行くでしょう。


私は一人でも、パチンコに行きはじめたのでした。


パチンコを打っている間だけは、

脳から快楽物質やら興奮物質やらがドバドバ出て、

すべての苦しみを忘れられました。


私はあっという間にパチンコ依存になりました。


神様からパソコンと生きがいというプレゼントをもらい、

悪魔からパチンコ依存というプレゼントをもらったのでした。


つづきます・・・


といっても、パチンコのことは、
このシリーズの本題ではないので、あまり触れません。


ただ、たまに読者から、

お世辞かもしれませんが、

「すごいですよね」「あるさんは私とは違うから・・・」「愛がある」

などと言われることがあり、

そのたびに

「うーーーむ・・・

みんなができることも、できないのだが。

基本的にずっと、すさんだクズだったのだが」


と思っていて、

しかし、それを少し言っても謙遜だと思われるのか?ピンと来ないのか?

ちゃんとは伝わっていないような気がしたので、

今回の記事を書きました。


みんな、とにかく、希望を持ってくれ。

こんな状態から、ありがたくて涙が出るほど幸せな状態になれるのですよ。

まー、逆に言えば、もともとこんな人生だったから、

ありがたいと感じやすいというのもあると思います。


ここからまた、アイちゃんとの商売や、金についてのことを書いていきます。