はい、「男性の浮気」を新たな視点で考えてみよう、
というマニア編です。

※このシリーズはマニアの方専用ですので、
一般の方はブラウザの「戻る」ボタンでお引き返しください。


・・・っていう注意書きを書いていたのに、
「こういうの待ってました」コメントが結構あり、ちょっと驚いています。

こんな変な話が好きだなんて、みんな渋すぎ。(笑)
でも私はこういう話大大大好きなのでチョー嬉しいです。

前回は、「欲望」についての話で、
師が娼婦をかついで川を渡ったが、
娼婦に触れなかった弟子の方が
ずっと娼婦をかついでいた、というたとえ話でしたね。

これだけだと意味不明。(笑)
ここから読みはじめたあなたは、
【マニア限定】男の浮気について<1> からお読みください。

では続きいきます。
ますますマニアになりますので覚悟してね。

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これは豆知識ですが、
インドでは、人は死んだらまた別の肉体を持って生まれ変わる、
そして悟った人は、輪廻転生の輪から外れて自由になり、
もう生まれ変わらない
、とされているようです。
(インドに行って、そういう本を読むまでまったく知りませんでした)

生まれ変わらないことがいいことっていうか、すごいことだなんて、
思ったこともありませんでした。

日本人男性から借りた本(「覚醒の炎―プンジャジの教え」)によると、
人間は、欲望を満たそうとしながら生きるうちは、
ずーっと輪廻転生しながら
生まれ変わり続けなければならないのだそうです。

そして、輪廻から抜けて自由になる、とは、
つまり「痕跡を残さずに生きること」だといいます。

「痕跡・・・?」

ってよく意味がわかりませんでしたが、

鳥が空を飛んでも、痕跡が残りませんよね?

魚が水を泳いでも、痕跡が残りませんよね?


つまり、欲望から完全に自由になり、
欲望への執着なく生きると、
鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、
その人が生きた痕跡が残らない
のだそうです。

だから真の聖者が生きても、痕跡が残らないということですね。

「痕跡が残らない」というのは、いわゆる「伝記」や「遺品」などの
その人の記録が物理的に残らない、という意味では全然なくて、
目に見えない「輪廻の輪」(?)とか「人生の道」(?)的なところに
痕跡が残らない、ということです。

痕跡が消えるからこそ、
もう輪廻の必要がないということなのでしょう。おそらく。

そして、欲望に執着しながら生きると、
痕跡を残して生きることになるんだって。。

・・・まあ、「ふうん、この本ではそう言ってるのね」
ってくらいに聞いておいてね。

では、「欲望はすべて痕跡になるのか?」といいますと、
痕跡になり、私たちをこの世界に縛りつける場合と、
問題のない場合があるのだそうです。

それがつまり、

「心に印象を残したときだけ、欲望は問題になる」

なのです。

ふぅ、とりあえずマニア編っぽい説明、終わり~。



では、心に印象を残すとか残さないって、それぞれどういうことかな?と、
本全体の内容を踏まえて具体的に考えてみました。

私が考えてみたところでは、以下のような感じです。


◎心に印象を残さない欲望

腹減った→メシ食った→空腹がおさまったらメシのこと忘れた

これはオッケー、無問題、なのでございます。

なぜなら、食欲は生きるのに必要で、
それを満たさないと、ほかのことが何もできないから。

その上、食べ終わった途端に食欲が消えてる。

つまり、心に印象を残していないのです。


☓心に印象を残す欲望

腹減った→メシ食った→空腹がおさまったが・・・

・すごく美味しかったので近場に同じような店がないか探す

・すごくまずかったので怒って食べログでけなす

・次はどの店で食べようか考える

・次はどのメニューにしようか考える

・早く次のメシにならないかなーと思う

・もっと美味しいメシを作れるようにレシピを研究する

などなど・・・

これが問題だ、とその聖者は言っているのでございます。

なぜなら、空腹がおさまったにもかかわらず、
「美味しいものを食べたい」という欲望にとりつかれていて、
その欲望を満たすためにあれこれ考えていますよね?


終わったことを、ああだったこうだった、と考えていますよね?

それはつまり、
食事への欲望が、心に印象を残しまくり、ということなのでございます。

「えーーー、そんなこといったら、なんっにもできないよね!?」
「じゃあ、考えること全部ダメじゃん」
「は?そんなの普通じゃん!」
「それが生きるってことじゃん!」

などなどの疑問が尽きないのは、もちろん承知しております。
私もそういうことを全部思って、心でツッコミまくったので。

しかしとりあえず、この聖者の言ってることは、なんとなくイメージできました?

だから、「トイレトイレ!漏れる!」というトイレ欲求は、
問題がないのでございます。

排泄しないと、生きることに影響を与えます。

そして、トイレでスッキリしたあとは、
普通、トイレに行ったことさえ忘れますよね?

でも、
「ああ、あの排泄の快感を・・・排泄・・・もう一度・・・」
となると、

ブッブー!

いかんのでございます。

欲望にとりつかれて、排泄が終わったあとも、
排泄についてあれこれ考えているからです。

つまり、

娼婦をかついで(=欲望を持ち)、
→食べたい、排泄したい、と感じ

下ろした(=欲望を満たし、必要がなくなった)のに、
→食べて、排泄して、それを満たしたのに

まだ心の中で娼婦をかつぎ続けている(=欲望にとらわれ続けている)、
→まだ食べること、排泄することを考えていて執着している


ということになるのです。

で、聖者は言います。

「するべきことをして、あとは忘れてしまいなさい」

と。

たとえば食事や排泄の欲望を持つことは、
生きて「するべきこと」をするためにも、
必要なこと、するべきこと
だから問題ない、
欲望をすぐに忘れるならオッケー、ということですね。

そんな風に、人づきあいも仕事も、すべてせよ、ということです。

なんか、すっごくすがすがしく、空を舞うように生きられそうですよね。

・・・全っ然、できそうもないですけどね!!!

なんか、この本や、
インドの宿にあった本(「バガヴァッド・ギーター」)を読んだりすると、
悟るとか聖者であるということは、
つまり「私」とか「個人」という人間じゃなくなることだと感じます。。

だからこそ、そんな人地球に何人もいるわけないし!(多分)
だからこそ、すごい「特別な聖人」ということになるわけですし!

では、どうしてこの話が男の浮気と関係あるのでしょう?

次回に続きます・・・

そうそう、前回の「師弟と娼婦の話」を「聞いたことがある」、
と書いてくれたコメントがありました。

えー!日本でも聞けるの!?と、めちゃくちゃ興味あります。
よかったら、一体どこで誰からお聞きしたのか教えていただけませんか?

元ネタが気になる超絶マニアはこちらをどぞ!

覚醒の炎―プンジャジの教え

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インドの宿にあった本(「痕跡を残さずに生きる」には?という内容で面白かった)

神の詩―バガヴァッド・ギーター (TAO LAB BOOKS)/田中 嫺玉

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