元善光寺を訪れた日から、私の中で物部氏と藤原氏が重なり始めました。
藤原氏のことを考える時、浮かぶのは「藤の花」
春日大社の巫女は藤の花のかんざしを挿しています。
藤の花から私が受け取るのは、どこか陰鬱な印象です。
藤原氏について改めて調べてみると、「藤原」という名は当時の天皇から下賜されたという話になっています。
しかし、何か違うように感じます。
自らこの名を選んだのではないかと感じます。
藤の花から掘り下げられないだろうか・・・
藤の花の特徴は・・・と探っていると、こんなことが思い浮かびました。
まず一つは、花の色が「紫」であること。
そして、藤の花は「下へ下へと落ちていくように咲く」こと。
これまでに書いたように、藤原氏には「歪んだ釈迦信仰」があるということを、私を導く者たちは知らせてきています。
それは、イルミナティ13血流の李家にも通じるように思います。
「歪んだ釈迦信仰」は言い換えると「トート・ヘルメス信仰」です。
闇側の者たち(イルミナティなどの人々)は、アトランティスにルーツがあり、彼らには「トート信仰」があるのだろうと指摘してきました。
これまでに書いてきた通り、トート・ヘルメスは光側の代表者であるクマラ五兄弟の一人サナカ・クマラ(シリウスにおいてはニニギ)のエネルギーの一部が闇落ちした存在です。
「紫=黒」は、サナカ(=ニニギ)のエネルギーの色、ニニギを表す色です。
光側の代表者といえるクマラ五兄弟には、それぞれに対応する「色」があり、それはつまり「五色」です。
トート(ニニギ)信仰があると思われる藤原氏が、ニニギ(=トート=サナカ)の色である紫の花「藤」を自らの象徴にしていることが、これで説明がつきます。
そして、その藤の花は下へ下へと下がる(堕ちる)ように咲きます。
私が春日大社で視た儀式のイメージと同じく、ニニギ(トート)が再び「堕ちる」ことを願って、このような咲き方をする藤を藤原氏は象徴としているのではないでしょうか。
藤原の「藤」の字には、そんな意味が込められているように思います。
では、藤原の「原」にはどのような意味が込められているのでしょうか。
私の頭の中で思考が駆け巡りました。
「原」という字を分解すると、このようになります。
「がんだれ(部首)」+「’」+「日」+「小」
以前の記事に書きましたが「、(’とは逆向きの点)」には強調の意があるそうです。
例えば、「天太玉」から「、」取り除くと「天の大王」となります。
「、」が入った字を使うことで「天の大王」の意が強調されています。
「原」の字には逆向きの点である「’」が使われていますから「減退」のような意があるのかもしれません。
そして「日」は当然「日神」を表すのでしょう。
日神は大国主(ニギハヤヒ)です。
「小」は説明の必要もありませんが、「小さなもの」と言っているのでしょう。
これらを組み合わせると・・・
「日神=大国主」の力など小さなものだと言っているのでしょう。
「’」と「小」で二重に小さなものだと言っています。
そして、「がんだれ」で上から抑え込む・・・ということを表しているのかと思います。
「藤」の字でニニギ(=トート)に対する忠誠心のようなものを表し、「原」の字で大国主(=ニギハヤヒ)を貶めている。
これが「藤原」という名に込められた「呪」だと思われます。
もちろん「原」という字自体に「呪」があるということではありません。
藤原氏は、このような思いを込めて、この字を選択したのだろうということです。
では、藤原氏の前身と言えそうな物部氏の名には、どんな意味が込められているのでしょうか。
「物」の字を分解すると、このようになります。
「牛」+「勿」
「牛」は牛頭天王を表しているのでしょう。
牛頭天王は封印された女神であり、スサノオの妻であり、大国主の母だと思われます。
牛頭天王の大元の存在はレディ・ヴィーナス・クマラであり、シリウスにおいては龍族のククリとして存在します。
「勿」は、「否定」や「無」などの意。
そして、物部の「部」は「部族」などの意と思われます。
これらをまとめると・・・
「物部」は、牛頭天王を否定する部族だと言っています。
もしくは、牛頭天王を亡き者にした部族と言っているのかもしれません。
物部氏は藤原氏の前身と思われます。
藤原氏は、出雲族を否定する部族だと自ら、その名により語っています。
出雲族の中でも、スサノオの妻である封印された女神の牛頭天王と、その息子である大国主を強く否定したのでしょう。
何故、この二人を強く否定し、追いやる必要があったのか。
それは、アセンションの成就には「369 みろく」の存在が欠かせないからではないかと思います。
レディ・ヴィーナス・クマラ(=牛頭天王)とサナンダ・クマラ(=ニギハヤヒ=大国主)のエネルギーが統合することにより、特殊な統合状態である「369 みろく」が生まれます。
故に、明治以降、牛頭天王を祀ることを禁じたり、この二人を一緒に祀ることを禁じてきたのではないかと思われます。
「物部」と「藤原」という名には、そんな「呪」が込められているように思います。