お金持ちの家に生まれて小学校から私立へ進学した塩田さん。

小学校のときにもみ消された事件を目の当たりにして、お金持ちの自分達だけは何やっても許されると勘違いした。

中学校時代は、スリルを求めてヤバめの組織をつくったりもした。

高校のあるとき、お母さんからお父さんの現状をみてきなさい、と言われた。

家にあまり帰って来ず、怖くてほとんど口を聞いたことのない父。

食材の卸の会社を経営する父の仕事ぶりを遠くから見にいった。

机に座って威張っているのかと思ったら、全く休む間も無く、食材を配送車に詰め込み、取引先に配送する。

配送先で怒られ頭を下げてる父をみた。

衝撃だった。
あの怖い父があんなに平謝りを。

50人いた会社は不景気で急激に小さくなっていた。

自分のために頑張ってくれてたことを知り、彼は高校を辞めて仕事を手伝うという選択をした。

一緒に仕事することを認めてくれない父だったが、少しでも楽させたくて、朝起きて荷物を仕分けして配送だけすればいい状態にした。

自分のかっこ悪い姿はみせたくないし、大変な仕事なので継がせたくなかったとも聞いた。

それでも力になりたくて、必死で仕事を覚えた。

今、彼は5代目の社長として父から会社を譲り受け頑張っている。

父とともにたくさんの苦労を乗り越えてきた彼は、人の支えのなかでしか生きていられないことを知り、とにかく出会った人を助ける、そんな生き方に変わった。

相談して欲しいし、頼って欲しいです。
何ができるか考えてます。

彼の友人と話していたら、彼はいつも与えすぎて、心配になります。助けてあげてください!と言っていた。

彼の話を聞いて、槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」という曲を思い出して聞いた。

彼の人生やお父さんの人生を垣間見た気がして思わず涙がでた。

彼も泣いてた。

きっと人知れぬ優しさの上に我々は生きている。

写真は上記とは一切関係なく
親友でもある天才クリエーター永野豪ちゃんとサウナ水風呂3往復して、邪気が払われたあとの写真。