かっこいい男
最近は人と会う機会が多い。
料理人の私でない時は、世界を湧かせる事業づくりをしている。
人と会って構想を話すたびに発見があり、形が明確になってくる。
以前、知り合いの陰陽師に、前世は江戸時代の発明家だと言われた。
何か新しいものを生み出す使命をもって生まれてきていると。
私が形にしようとしている事業には世界をもっと素敵にしたい、という志のある社長の協力が不可欠だ。
そんな中、とても嬉しいことがあった。
日本の教育を根底から変える、というところから事業をしていて、尊敬する友人でもある、(株)ライフデザインパートナーズの浅川智仁社長に事業の協力依頼をするために会いにいった。
氏は現在、39歳。
早稲田大学卒業後、出版社を志望するも時は就職氷河期であることに加え、面接官を面接してやるという挑戦的すぎる態度が時代の先を行き過ぎていて就職活動に失敗した。
そして、出版社への熱い想いのあった浅川青年は就職浪人を選択する。
それでも結果は出なかった。
大学時代、周りをとりまとめるリーダー役だった浅川青年は周りの仲間が大手企業に就職し、同窓会をやるという時にお金とプライドの両方から惨めな思いをした。
24歳の浅川青年は地元山梨でほとんどお客さんの来ない実家のコンビニで名ばかりの店長をしていた。
そして25歳の時、実家が倒産した。
浅川青年を含め、数人の親戚が連帯保証人になっていた。
借金の総額は2000万円。
返すあてのない借金。
自己破産を選択しようとする親戚の声を浅川青年が一蹴した。
俺が全て返す、と。
コンビニも無くなり、無職の男が2000万の借金を背負う覚悟。
人生は振り子だと氏は信じていた。
大きくマイナスに振れれば、必ずプラスに大きく振れる。
これを返せばいっぱしの男になれる。
これまでの人生が変わる、と。
物理の法則が人生にも当てはまることはよく分かる。
成功哲学的にも、そうかも知れないが、本当の窮地に追い込まれた時、それを体現できる人がどれだけいるだろうか。
返すあてがなければ10万円の借金だって背負いたくない。
浅川氏はそこから、ツテをたどり、父の知人の会社の社長に社長秘書として入社し、25歳から28歳の3年間、社長の仕事力を肌で感じながら寝る間も惜しんで働いた。
その後、能力開発業界最大手の営業会社に転職し、そこでもトップになり31歳で独立を果たす。
独立後、ベローチェで百数十円のコーヒー代も出し惜しむほどに、苦しい時もあった。
帰り道のコンビニでアルバイト募集のチラシの前で何度も立ち止った。
それでも、必ず道は拓けると信じた。
そこから1年後、32歳の時The Japan Times のアジアを代表する次世代の経営者100人に選出された。
それ以後、事業は拡大し、今では数多くの企業のセールスコンサルタントを務め、各種講演でもひくてあまた。
個人の能力開発においては分野を問わず、全国1位やトップセールスを多数排出。
そんな男に協力依頼をするのは、いかに図々しい私でも気がひける。
が、ここは世界を湧かせるために生きている私も一歩を踏み出そうと氏の元を訪れた。
浅川社長は私の話を熱心に聞いてくれた。
私の依頼に対して、
「光栄な機会をありがとうございます。」
と返してくれた。
きっと内容がどうであれ、氏は最初から決めていたようだった。
2000万の借金を背負った浅川青年は彼が当時思い描いていた以上になったのだろうか。
きっとまだまだ大きな未来を見据えている。
浅川社長が目指すのはアジアを代表するモチベーショナルスピーカーなのだ。
今更ながら、浅川社長が快諾してくれたことの責任の大きさに身が引き締まる。
そしてそれが私が明日も動く原動力となる。
目の前の人は自分が思っているより遥かに大きい。
そして自分も自分が思っている以上に大きい。
大胆に行けば、大胆に道が拓ける。
全てが思い通りにはいかないかもしれないけど、とったリスクの量が覚悟を決めさせてくれる。
それが自分を大きくする。
何より人生が活き活きする。
今、活き活きするということ以上に価値のあることはあるのだろうか。
もっと自分が成長してから、なんて、今動かないことを正当化したら可能性は死んでいく。
気づいたら動けなくなる。
リングにあがるのは、今。
リングにあがり続け、その活き活きさで、周りを力づけ続けるあなたと出会えたこと、それは私にとって大きな贈り物です。
ありがとうございます。
心を込めて。


