こんにちは(^^)

~お年寄りが元気になる脚~ 佐藤タクシーのSANAEです!

 

今日は、養蚕の発祥地を紹介しま~す🌸

 

つくば市の神郡が日本の養蚕の発祥地(約2千年前に中国から伝来)といわれ、

蚕影神社が設立された

 

日本は養蚕業が盛ん、筑波山麓でも養蚕業は盛んでした

この地域のお年寄りに話を聞くと「お蚕は女性の仕事だった」など、
そういった先人の知恵も参考に、木綿や蚕などを育てています
 

 

蚕影神社は、全国各地の養蚕業関係者が参詣しました

 

養蚕業が廃れるにつれ、

蚕影神社へ訪れる人も年々減りました

わた部のような地域の方の活動により参拝する方も復活傾向にあります。

 

筑波山神社の宮司が祝詞を奏上。

 

筑波山神社の宮司がとても良いことをおっしゃっていました。

 

「この儀式は、祈りを捧げる儀式です。秋には実りへの感謝の儀式があります。

 

祈りと感謝、祈りと感謝を繰り返しながら、人は生活していくもの。

人間は、植物や動物の命を頂いて生かされている生き物です。

昔の人は、蚕の命を頂いているのだという意識を持って、

衣服を纏っていたんじゃないでしょうか?」

 

昔インドのお姫様が、継母に虐められ、桑の木で作った船で流されてしました。
流れ着いたのが、「豊浦」と言う地。(昔、筑波山麓地域は海だった!)

漁師の権太夫夫婦は、姫を看病しますが亡くなってしまいます。
夫婦は悲しみ、唐びつを創って姫の亡骸を納めました。
その夜、権太夫の夢の中で、姫が「食べ物をください」と訴えます。
 

翌朝、権太夫夫婦が棺を明けると、亡骸は無く、蚕がたくさんいました
夫婦は、姫が桑の木の船に乗ってきた事を思い出し、桑の葉を与えます。

 

やがてその蚕は繭を作りましたが、繭をどうして良いのか分からず困っていた権太夫。

 

再び夢を見て、筑波山の仙人から糸をくくる方法を教えてもらい、養蚕を営みました。
養蚕業で栄えた権太夫夫婦は、姫の魂を中心に、
左右に富士山・筑波山が来るような場所に、建物を設立。