『大鋒院殿御事跡稿』より


小山田隠岐守堅之相伝

こなたより申候ハん折から、御ふみくたされ候、よろつとりこみ申候まゝ、□まかりうつり申候所もよく候まゝ、御心やすくおほしめし候へく候、い細御めにかゝり申候おりから申上へく候、かしく

松代より
   いつのかみ

むら松さま
      返事


語訳
こちらからお伝えしようと思っていたところ、お手紙下さいましたが、いろいろと取り込み中なので。
□国替えで移ってきたところもいいところなので、安心してください。細かいところはお目にかかってからお話しいたします。かしく

松代より
    伊豆守

村松さま
    返事





この書状は実姉の村松へ宛てた、元和8年に住み慣れた上田から松代へ移封された頃のものと思われる。
有名な話の一つではあるが、村松殿は信之、信繁兄弟から尊敬される姉であった。
信之とは一つしか違わないが、幼い頃は兄弟と共に武道をたしなみ、また才女でもあったという。
『大鋒院殿御事跡稿』には上記の書状しか掲載されていないが、信繁と共に手紙のやり取りは頻繁だったようだ。

信繁が九度山へ蟄居となってからも、3人でのやり取りは続いていたのだろう。
弟二人が直接やり取りすることは幕府の目もあるので憚られていたであろうし、村松殿としては中継地点の役割も担っていたように思う。
特に信繁の事は心配していたようで、手紙を何通も送っている。
そんな村松殿の夫は小山田茂誠で、真田家の重臣であり信之の代以降は代々家老を務めている。





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