『大鋒院殿御事跡稿』
よく出てくるこの名前ですが、いわゆる『真田信之の詳細経歴』をまとめたものです。
書いたのは河原綱徳さんと言って信之の家臣、河原綱家(前歯折った人w詳しくはググってくださいw)の子孫です。
この『大鋒院殿御事跡稿』が収められている『真田家御事跡稿』が完成したのは江戸中期にあたる天保14年(1843年)なんですね。
それまで大まかな書物はあったんですが、個人個人を詳しく編纂した書物はなかったんですねぇ。
私としては驚きでした。
「゚(∀) ゚ エッ?あの有名な真田家なのにっ!?」とw

こういった編纂事業が遅れた原因は、学者さんや研究者の方々もおっしゃられていますが大きく分けて3つあると思います。
まず一つ目。関ヶ原合戦以降、真田昌幸と嫡男信之は袂を分かちます。その後、東軍の勝利に終わり、信之は家康から約束されていた父昌幸の所領である上田を引き継ぐわけですが、この時に父子の間で歴史関係の引継ぎがうまく行われていなかったことが挙げられます。
まあ、父は弟信繁と共に蟄居ライフを送ることになるので、上手く引き継げなくても無理はないんですけれども、父子間で家臣たちの移動などもあったりして、バタバタしてるうちにすっかり忘れちゃってた、みたいな感じですね。

二つ目の原因としては、江戸屋敷や上田、松代ともに何度か火災にあっていることです。
有名なのはやはり明暦の大火ですかね。あの大火事で信之が住んでいた桜田屋敷も全焼してしまいましたし。その時に史料などもいくつか焼失しているようです。また、信之自身も松代転封の際、腹立ち紛れに検地書類などを焼却しているようですから、その時に都合の悪い史料も一緒に葬り去った可能性は否定できません。

そして三つ目ですが、これが一番痛い事かなと個人的には思ってるんですが、そういった編纂事業の取りかかる時期が遅すぎたことです。先述したように『大鋒院殿御事跡稿』は江戸中期に編纂されました。もちろん、他の人物に関しても同じです。それまでもいくつか編纂しなおした史料が皆無だったわけではありませんが、少ないです。有名な『滋野世記』の完成でさえ、享保18年(1733年)です。お金がなかったのか、人が足りなかったのか、はたまためんどくさかったのかwそれはわかりませんけれども、とにかく遅れていたことは確かです。

ですからもう少し早く取りかかってくれていれば、もっと史料は濃く深いものになってたんではないかなと。清音院の事についても然りです。曲がりなりにも正室であった時期が存在するのですから、もう少し情報なり、史料なり残ってくれていてもいいはずなんですが。

ただ、こうも考えるんです。
ひょっとして信之はわざと清音院に関する史料を焼却したのではないかと。
それは嫌いだったからではありません。好きだからこそ隠す。この時代にはよくあることです。
今でこそ好きなら「好き」って言いますが、この時代の武家に生まれた男女はそんなはしたないことはしませんwはしたないというのは少々言いすぎですが、間違っても手紙で「好きだー!大好きだー!」とは書きません。
(あ、衆道は別ですよ。武士のたしなみ的なところもあったので)
百歩譲って「会いたいなー」ぐらいですw
「好き」という表現は、あくまで秘め事。お互い二人きりになった時にだけ言う。要はそれだけ相手のことを大事に思ってるってことですね。で、それがエスカレートすると隠しちゃうw
平安時代もそうですね。高貴な女性は御簾で隠れてましたし。女性を隠すのが好きな国、日本ですw

清音院の場合は情勢的にもやむなしという理由で隠されたのだと思っていますが、信之にしてみれば願ったりかなったりだったのかもしれません。
だいたい信之がそんなに徳川大好きもしくは徳川大切なら、小松姫を娶った時点か関ヶ原前で清音院とは離縁してますって。だって邪魔ですもの←
ましてや元々、真田家の血を引いてる人間ですし。どっちかっていうといない方がいいわけで。でも離縁せずに側室へ降格させてるということは、好きだったからだと思うんです。だってあれですよ?清音院って一応、短期間でも家督を継いでた真田家嫡男、信綱の長女ですからね?信綱って言ったら長篠の戦で勇猛果敢に突撃して討死した武田二十四将の一人ですよ。昌幸も憧れてた兄です。お母さんにしたって高梨政頼の娘です。いいところのお嬢様です。別に信之と離縁したって他にも嫁ぎ先は腐るほどあります。家臣だったら「是非うちの息子に!」ってなります。家臣じゃなくても政略結婚の駒として十分使えます。でも信之はそれを許さなかった。

「清音院と離縁?そんな選択肢は最初からない」

こんなことを言ったかどうかは分かりませんが、とにかく信之は清音院を手放すことはなかったわけですね。
そこにはたしかに”愛”があったと思うんですよ。
何があっても清音院を守りたい。守るんだ。そんな気概が窺えるんです。
そしてそれは誰にも知られたくない。だって愛してるから。
だから「清音院の史料も燃やしちゃえ!」ってなっても、信之なら妙に納得してしまうんですよねぇ。
清音院の事は自分だけが知っていればいい。誰にも清音院は見せない。
・・・あれ、信之ってもしかして結構独占欲強い?w
ただ、もしこんな感じだったとしたら個人的には困るんですけどね(ノ∀`)
史料少なすぎて清音院の事探れないんでw



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