ビリオネアセミナーで塾長が言っていた2本の映画のうちの1つ。


「皆殺しの天使」






白黒映画で、吹き替えはなく字幕だけの映画。

しかも音声は英語ではない。



どういうストーリー?
この会話の日本語訳合ってる?
意味不明なんだけど。
何が、テーマの映画?

全くわからない😓
うー😓つまらない😣

そして、眠くなる始末😅
見ているのが苦痛の映画。
それが最初の印象。

ビリオネアセミナーで言っていた塾長の言葉を思い出した。



「自分の都合の良い様に翻訳して聞かない」と。



そうか、この映画を見る時も
それを使うのか!


まさにやっていた。
自分のフィルターを通して翻訳して見ようとしていた。


どういう感じの映画で

何を言おうとしているのかを

探りながら見ていた。


それゆえに、全くわからなかった。

つまらなすぎて、途中眠ってしまっていたので、最初からもう一度フィルターを通さず

そのまま見た。
わからなくても、わからないまま。
そのまま。見た。

そうすると、だんだんとわかってきた。


さっきまで全然意味不明だと思ったものが
同じセリフ、同じ場面なのに

さっきよりは、わかる氣がする。


ちょいちょい

フィルターがかかりそうになりながら

最後まで見れた。



1度よりは2度。
2度よりは3度。

同じものでも何度も
見る回数を増やすごとに
段々とわかってくるものがある。

マイラボやフセさんの話で
「抽象度」というのを教えてもらった。

この映画で言うなら
1番最初見た時は
抽象度が低い視点でみていた。

自分のフィルターを通さずに
2度、3度と、見ていったら

抽象度が回を重ねるごとに高くなっていった。

氣がする😅



映画の物語の全体像が見える様になってくると、小さな部分も意味をもつようになり


さらに映画の内容が深くなり

最初「つまらない映画」と思っていたものが
「面白い映画」に変わった。

この映画は

現状の自分では

絶対に手に取らないであろう映画。


そして、セミナーを受けてなかったら、見たとしてもつまらない映画だったで終わっていたと思う。

この映画は、


私にとってビリオネアセミナーで言っていた

「自分のフィルターを通さずに、そのまま聞く」と言うこと。


いかに自分が今までフィルターを通して

都合のいい様に解釈して

見たり聞いていたりしてきたかを

体験・氣付かせてくれる映画だった。



ビリオネアセミナーで、

この映画の存在を知り、見て見ようと思った。



これもマイラボでも言っていた
「ゴールの彩りを変える環境」の回。

物理的な環境を変えるのがすぐできない人は、

まず情報空間の環境変えるだけでも

ゴールの彩りが違うと言っていた。



マイラボに入る選択をしたから、

このビリオネアセミナーに出会い、

フセさん&塾長のビリオネアセミナーを受ける選択をしたから


この映画に出会った。

これは、

私にとって

ただ単に1本の映画に出会っただけの話

ではなかった。


日常のたわいもない会話のなかでも

今まで氣付いてなかった自分の翻訳が行われていたことに氣づけた。



この映画で、ストーリーや演出とは関係ないだろうと思える不思議なものを目にしたんだけど👀

それを旦那さんに話て、その箇所を見せた。


そしたら、旦那さんは
「バグったか、編集ミスなんかなんじゃない?」と。



そう!ここ!



自然なことなんだけど
良い悪いではないんだけど

私も、これやりがちだなぁと思った。


私は「ミステリ的なものを目撃した!と思って」旦那さんに話してる


旦那さんは単に「それについて自分の思った事」を話している。

これは至って普通の会話で、

何事もないんだけど。


「自分のフィルターを通さないで聞く」
と習った後だと

自分も相手の言ったことに対して

つい「自分の解釈」を述べてしまうことが多かったことに、この会話でふと氣付いた😓



特に子供との会話でやりがち😅

抽象度が高くあるには

自分のフィルターを通さずに聞く。



それを心がけようと思う☺️