4/3に行われた

声松さんとみゆきさんによる


心理学×ボイトレ講座終了後の
打ち上げの時の話で

「普通になりたかったけど

普通に出来なかった」


など
「普通」と言う言葉が出てきて

「普通」って?の話になったんだけどね


「普通って何?」と問われて



自分が追い求める「普通」って?を
改めて考えて見た。



考えてみれば「普通」って

人それぞれだなーって🤔



例えば、目玉焼き🍳

「目玉焼きといえば塩コショウでしょ!」

塩コショウが普通と思っている人もいれば

いや
ソースでしょ!
醤油でしょ!

と、それぞれ


それら全ては

その人その人の

これが普通でしょ!

という「思い込み」であり


それはその人自身の日常と密接している



日常の自分が居る「場」や「環境」
その中での平均値。

それが「普通」と思われているもの。
最初、家族の大人達がみんな塩コショウしてたから、それが普通と思ったとか。


ルールもそうだよね。




その「場」によって違ってくる

そういえば🙄


昔、面白いことがあった。

娘の中学校で「校長」の考えで
カバンや制服がコロコロ変わるという事態。


最初、セーラー服の中に着る
アンダーシャツや、体操服のTシャツは
「白」が決まりだった。

だから「白」が普通であり、ルール。

下の学年が入ってくる時
白だと透けてしまうという保護者からの声で
アンダーシャツと、体操服のTシャツは
ネイビーになった。

それはそれで良い。
新しく改善されたのだから。

しかし、次に2年に上がるうちの娘の学年は
ネイビーで良いらしいのだが

次に3年生に上がる学年は
ネイビーではなく「白」のままでということに。

逆にネイビーにしたら校則違反。


それは、
「あと1年だから変えるのも勿体無いー😓」
という保護者からの声があったのかもしれない。


でも、持っている白が汚れたり
または「透ける問題」なら変えたい!
と思うこともあるだろうに😓


新3年生は変えると校則違反。


「Tシャツ透ける問題」

を改善するということと

「家計の負担問題」





その両方の平均値を取ろうとしたから


学年によって違うルールの

こんなややこしいことに😓



ルール」として「枠」を決めてしまうと

そこに、当てはまらない矛盾が出てくるんだなぁと思った。



本来「ルール」は

皆が快適に過ごすために決められるのだろうけど

過度なルールを設定することで


逆にどんどん快適じゃなくなってくる


この学校は、さらに

ジャージのポケットに

手を入れて歩く人がいるからと


ジャージのポケットも無くすという

もーーっと、変な方向へとなっていった😅

(ハンカチを入れれない問題も出てくるのに😅)



過度なルールを設けることで

どんどん自主性が失われていく😓





そのことを思い出したら




尚更「普通」を追い求めることに

意味は無いんだと

改めて思った。


自分に「普通」を設定することで

どんどん自分の個性が失われていく

輝きが、抑えられていく




1回目心理学ボイトレに来ていただいた時に

福島のみんなは揃って

真剣にウンウンうなづいて聞いてくれて

素直💕と


褒めてくれた。


しかし、今回氣付いたのは

どうやら、どうやら😳



その「素直さゆえ」に


地域にある「ルール」的なもの

(親や世間の教え的なもの?)も
素直に受け入れていて


その中の平均値の
「普通」を追い求めることになったのでは無いか?ということがわかった。(勝手に分析😅)



だって
年齢も、育った地域も違うのに

同じように

「普通になりたかった。普通に出来なかった」

と思って生きてきてた。



共通項は「福島県」

福島県特有なのか?は

福島県にしか住んで無いので

わからないんだけどね。



でね。

素直なので
「普通」を求められれば
周りの意見を素直に聞いて
「普通にならなくちゃ」と頑張る。


素直に出来ない自分の方を責める。



だから

心理学ボイトレでも

福島の人は一見「素直に聞く良い子達」




今回の心理学ボイトレで
1人1人歌を聞いてもらった。

ボイトレの講座の時も
打ち上げの時も

声松さんが


「みんな自分自身のことがわかってない」


「自分(声松さん)は、プロだよ。そのプロが、みんなの歌を聴いて、思わず声が出てしまうくらい(心が動いた)なのに、皆さん自身は、全く自分のことがわかってない」



ちょっと、うろ覚えだ😓


とにかく、そんなようなことを言っていた。
(と思う😅)



後日

みゆきさんとのメッセージのやり取りの中で



声松さん、みゆきさんのいう通り

「私、自分自身のことわかってなかったですねー」と反省をしていたら

「わかってないことが悪いのではなく

めっちゃ光っているということですからねー!!!」


と返信が。



え⁉️


光ってる😳⁉️



「輝きを抑えなかったら、勝手に輝きますよー!

今輝いていないんじゃなくて
輝きを抑えてるだけなんですー!」

って😳



それをみんなに伝えてあげて💕


と。









一旦「普通」の話に戻るけど(なんで?笑)




「普通」を説明する私に

声松さんが


「じゃあ、もう普通でいい。普通で良いから。

さなえさんを普通としましょう。

みなさん、さなえさんの「普通」に、合わせて。と言ったら?」


ここも、そんなような意味のこと😅確か…



そうか…

それだと、みんなが同じ
「ロボット」のようになってしまう😓



普通になることって


ほんと

意味がない😓



なのに

ずーーっと

「普通にならなくちゃ」で生きてきた。

happyちゃんに出逢うまで。



だから「イマココふくしま」を
あきちゃんが立ち上げてくれたから


ここが、自分の「普通」になって

ここがあるから安心して

日常の社会の中を生きれる



と思っていたのだが😅


そもそも、その言葉の使い方が違ってた😅
そこにも「普通」という言葉を当ててしまい😅



本来なら、イマココふくしまは


「素の自分で居れる場所」


という表現が正しかった😅



「さなえさんの言っていることはわかる。

けど、意味は、わからない」と声松さん





言葉のチョイス間違っている上に

本来目指す必要のない「普通」に

なろうとしている。

それをすることの意味がわからない。と。



確かに、意味わからないですよね😅
アイタタタ😣


・素直


・自分自身のことをわかってない


・輝きを抑えている




つまり



その「素直さ」で

地域の概念を取り入れてしまって生きている


自分自身の中に「めっちゃ光ってる部分」

を持っているのに

概念が邪魔をして抑えてしまっている。



しかし

そのことに自分たちは氣付いてすらいない😓

そういうことらしい。



「みんな自分自身の中に輝きをちゃんともっているよ」



ということを

今回の心理学×ボイトレで

教えてもらったと思う。




概念が邪魔をして

輝きを抑えているだけ。




声松さんとみゆきさんに

そう氣づかせてもらったから



私達「素直」なんで🤣


輝き信じて

その「抑え」取り払って行きます❣️



「氣づく」だけで、外れるという🥰
気づけないから、外せないだけ🥰



声松さん、みゆきさん
本当にありがとうございました✨✨✨

もっと、たくさん学んだのですが

言語化出来ず、やっと1つを絞り出しました🤣


学びのほんの一部😅