先日


片付け苦手の私でも
(ゴール設定すれば)
叶っちゃう❓ってことですねと書いた。





そこで、また氣付いた。
(人と会話すると氣づけるね)





「片付けが苦手」




その片付けが苦手というのも




私が「設定」してるからなんだね🤔




そして、そう思い込んでいる😓





過去を思い返してみると






子供の頃




夜寝る前に



私は明日の服をキチンと畳んで

枕元に置いた。




母に褒められるという期待もあったし、

そうしたいという氣持ちもあったから。





しかし


母親は早く子供を寝かしつけかったので



「そんなことやってないで、
早く寝なさい😡💢


グズなんだから😡💢」






と私を叱った😣





そこから私は


やらなくなった😟






そしたら今度は




「何もしない子、グズな子」





というレッテルを貼られた。



そこから私は

母親から見て

「何もしない、クズな子」になっていった。







部屋が散らかっていても、
「何がどこにあるか」の把握はしていた。





けど、母親から見れば散らかった部屋




「片付けろ💢」と叱られ




とりあえず片付ける。




すると





何がどこに入っているか
分からなくなった😥





(そこがADHD要素なんだと思う。
見えなくなると分からなくなる💧)






結局、探すので

元通りの散らかった部屋に。



母親からは



「片付け出来ない子」




のレッテルが。





自分の部屋を

「親から見て綺麗な空間」にすると




私から見ては





「何がどこに入っているかわからない


不安な空間」




でしかなかった。





「片付けが苦手」という設定は




自分で設定したものでは

なかった。





片付けが苦手というよりは





私に合った片付けの仕方が

わからないだけ







セルフケアによって





過去に母親にされた「設定」が



炙り出され






そのことに氣付いた。




氣付くということは




それを解除する鍵🔑になる。