自分に問うてみる。



「出来ない自分でいることのメリット」って、何だろう?


「そこ(出来ない自分)」に居続ける理由とは?

人生とは「問い」だね。



今に居続ける理由?
そう聞かれれば、こう答える。

「それがゴールだから」と。

叶っていないわけじゃない。
叶え続けているんだ。
「出来ない自分」を。

「出来ない自分」が、ゴール。
それを叶え続けている。



「怖さ?」
「怖さは――」

「出来ない自分」を作り上げるための、
大事な構成要素(材料)。

だから、「そこ(出来ない自分)」が
問題なのではない。
それらは、大事な構成要素(材料)。

問題は、その構成要素ではなく、
“ゴール”のほうにある。



運動ができないんじゃない。
片付けができないんじゃない。
講座が開けないんじゃない。

それらはすべて、
「出来ない自分」を作るための、
構成要素(材料)。

「出来ない自分」が、
「ゴール」になってしまっている。



気づいたんだ。
私はずっと、出来ない自分を変えようとしていたけれど、
実はその「出来ない自分」でいることを、
自分で“叶え続けていた”んだと。

今が、いつかの未来。
今がゴール地点。

今の現状が、叶っている状態。
ずっと同じ状態にあるもの、変わらないもの。
それが叶っているもの。
それが、設定されているゴール。

出来ない自分であることが、
無意識のうちの“ゴール”になっていた。
そう思った瞬間、
すべての辻褄が合った。



言い訳? 逃げ癖?
それの何が問題?

それらは、
「出来ない自分」を作るための、
大切な構成要素(材料)なんだ。



問題を「問題」と思っているのは、
抽象度が低いと言われる。

問題を作り出している人に、
問題は解けない。

確かに、
「問題」と思っている箇所が違う。

「そこ(出来ていないところ)」は、
本当の問題ではない。



犯人じゃない人を犯人だと思っても、
事件は解決しない。

犯人じゃない人を捕まえても、
事件は解決しない。



イライラしている人を見て、
イライラするのは、
「その人が問題」なのではない。

ワイングラスが「ソ」の音で割れるのは、
そのグラスが「ソ」の音を持っているから。

「ソ」の音を持っていないグラスは、
「ソ」の音を響かせても割れない。



イライラしている人を見て、
イライラするのは、
自分の中にあるイライラが
「共鳴」してしまっているから。

「人は自分を映す鏡」と言われている。

自分の周りの人は、
今の自分を形作っている、
構成要素(材料)を宿している。

自分の中にないものは、視えない。
なぜなら、意識していないものは、
視えないから。

目に映っていたとしても、
それは単なる背景。

「視えている」と「見えている(ただ映っている)」は、違う。

視えているものは、意識しているもの。

視えているものはすべて、
自分をつくっている構成要素。



じゃあ、なんで憧れの人も
目に映るその中にいるのか?

それは“対比”だ。

出来る人を見ることで、
「自分のできない」を確認している。

それすらも、
「出来ない自分」を作り上げるための、
構成要素(材料)。



自分を変えたいと思うなら、
未来を変えるしかないと、習っている。

今を変えても、過去を変えても、
今は変わらない。

ほんとうに、そうだと思う。



未来の自分は、
どんな自分になっていたいのか。

そこに――
憧れの人をもってくる。

そこをゴールにしなければ、
今の自分は変わらない。



出来ない自分を見つめるということは、
そこをゴールにしているということ。

意識したものが、
意図したものが、
設定されている。

今の自分を見つめるのではなく、
未来の自分を見続けることが大事。