1,000回ころんだ先。

 

それでも未だに目的をもって生きている。

 

転んでいる方のお役に少しでも立てればと思います。

 

さて、それでは本題に。

 

父への同情から、進学を諦めて父の夢の手足となった。

 

しかし、35歳の時に岐路に立たされました。

 

我慢してきた小麦アレルギーが限界に達してしまいました。

 

また、子供が出来て独立のリスクを考えてしまいました。

 

自分と同じように親の浮き沈みで子供の将来を左右するのは忍びない。

 

結果的には、健康上の理由によってパン屋再興を諦めました。

 

父は結婚してからも、会うたびに貯金はいくらあるんだと尋ねてきました。

 

開業資金の確認だったのだろうと思います。

 

更には農家に嫁いだ子供からは仕送りで野菜や米が届くが、私からは何の支援もないと言われました。

 

他にも色々と重なり、ある時を境に疎遠となりました。

 

その後は関係改善も考えましたが、もう自分一人の感情ではなく、家族の考えや事情も配慮しないとならない。

 

私は父への同情から犠牲になることを厭わなかった。

 

しかし、そのまま死ぬまで自己犠牲を貫くことができなった。

 

貫けないのであれば、自己犠牲をすることは偽善だと思います。

 

私は偽善をしていただけだったと。

 

もし、同じように自己を犠牲にするような立場にいる方がいるのであれば、

 

死ぬまで自己犠牲を貫けないなら自分を大切にしたほうがよいと心から願っています。