1,000回ころんだ先。

 

それでも未だに目的をもって生きている。

 

転んでいる方のお役に少しでも立てればと思います。

 

また子孫への参考に。

 

さて、それでは本題に。

 

高校2年の郊外学習は電車で鎌倉へ行くことになっていた。

 

しかし、そんなお金はその当時の我が家にはない。

 

働かない父と機器のリース料や住宅ローンで食べることにも事欠いていた。

 

だから欠席した。

 

しかし、それを体育教官の担任は笑いのネタにしていた。

 

私がいないにもかかわらず点呼の時に、

 

「一人足らないな、誰だ。」

 

そういって笑いを取っていたそうだ。

 

高校3年になると父が働き始めたので、卒業旅行には行くことができた。

 

しかし、その場でも笑いのネタにすることを止めなかった。

 

当時の私は凄く我慢強かった。

 

だから、苦笑いして耐え続けた。

 

周囲の同級生にはこの苦しみを理解できるものはいなかった。

 

我慢に我慢を重ねて高校卒業までなんとかこぎつけた。

 

 

つづく