・第619帖・・・
列車があれば列車に乗って下さい
飛行機があれば飛行機に乗って下さい
歩いたり馬で行くのでは
間に合わない事になっているのです
昔のままの宗教のやり方ではいけないのです
根本は良くても中々目的地には着かないのです
飛行機時代には飛行機に乗って下さい
乗って進む宗教の道によらなければならないのです
今は今の姿が真実なのです
自分の頭で割り切れないと言って
文句ぶつぶつを言わない事です
あるものそのものが真実なのです
そのあるものを拝み
祝福してそこから出発して下さい
現在を祝福する事は
過去と未来のすべてを祝福することです
たとえいかなる現在でも
その現在を祝福しなければなりません
喜ばなければなりません
喜びが元だと言ってあるでしょう
この巻は黒鉄くろがねの巻です


  ・第620帖・・・
一切に向かって涙して下さい
一切に向かって懺悔ざんげして下さい
一切を受け入れて一切に感謝して下さい
一切が自分であるのです
一切が喜びであるのです


  ・第621帖・・・
理屈は一方的なものです
どんな理屈も成り立つのですが
理屈ほど頼りない力の無いものはないのです
が神の能はたらきなのです
理屈と理をよく見極めなければ間違うのです
囚われてはならないのです
他のために苦労する事は喜びなのです
全体のためにハタラクことは喜びです
光の生命なのです
誰にでも重荷を負わせてあるのです
重荷があるからこそ風にも倒れないのです
この道理は涙で笑って汗で喜んで下さい
それとも重荷を外して欲しいのですか
重い重荷もあり軽い重荷もあるのです
今蒔いた種は今日や明日には実らないのです
早く花が見たくて実が欲しいから焦るのです
人間の「近欲」と言うものです
神の大道に生きて実りの時を待って下さい
蒔いた種ですから必ず実るのです
誰も横取りはしないのです
万倍になって 自分に帰って来るのです
未来に燃えつつ現在に燃えて下さい
神を相手に悠々と天地に歩んで下さい


  ・第622帖・・・
道は自分で歩まなければならないのです
自分の口で食べ物を嚙まなければなりません
噛みしめて下さい
ウジ虫に青畳です
苦労の種なのです
ウジ虫が青畳の上に居ても意味が無いのです
無駄な苦労なのです
畳に座るのは畳に座れる様な行をしてから
座らなければならないのです
生命いのちは言葉です
言葉とはミコトです
ミコトは神の心であり喜びなのです
ミコトに生きて下さい
コト言葉あればオトがあるのです
オトがあればイロがあるのです
イロがあればカズがあるのです
善にも悪にも神の心があるのです


  ・第623帖・・・
プラスとマイナスを和合しなければなりません
普通の和合ではムになって力が出ないのです
今までの和合のやり方ではいけないのです
喜びの和合、融け合う「・」ある和合でないと
少しでも曇りがあったら和合では無いのです
辛抱、我慢しているのでは和合では無いのです
今までの和合の仕方ではカスがあるでしょう
かすがあるのは悪の和合なのです
神示を肚はらに入れなければ御用は難しいのです
最初は目標めあてを作って進まないと
行ったり来たり同じ道を堂々巡りです
掴めるところから掴んで行って下さい
拝んで行って下さい
統一した幸福こそ二二富士晴れるのです


  ・第624帖・・・
気づいた事から早く改めて下さい
とことんまで行って神が実行するのでは
人の面目が立たないので
人間同士でよく実行して下さい
ただ有り難い感謝だけではいけないのです
仕事をしなければならないのです
努力しなければならないのです
ジッとしていては進まない道理なのです
灯りを点けなければ闇の世は歩けないのです
それぞれが灯あかりとなって下さい
油燃料は神示ふでなのです
油は尽きる事が無いのです
いくらでも灯りを点けて下さい
「祀りまつりから出直して下さい」と
言ってあるでしょう
結構に大きなまつり、小さなまつり
まつろいを下さい
神心になれば神がハッキリと見えるのです


  ・第625帖・・・
芽を出したら間引きをしなければなりません
神示を読んでも神示を理解出来ない人と
神示が肚に入ってもう大丈夫だと
神が見届けた人と間引まびくのです
神示が肚に入った芽は間引いて
他に植え替えるのです
神示を読んでも肚に入らない人は
間引いて肥料にするのです
わざわざ遠い所にお祀りに行かなくても
自分の家に神様を祀っているから
それを拝めば同じ事なのだと
それで良いのだと理屈を言っていますが
格かくの上の所に求めて行くのが
仁義、礼儀と言うものです
があれば必ず出来るのです
立て替えをしないで行けば
この世は行けば行くほど悪く行き詰まるのです
早く目覚めて下さい
お祀りしなければ真理は通じないのです
子供にまつろわなければ
子供は導けない道理です
自分が分かれば一切は明らかになるのです


  ・第626帖・・・
神の言う様にすれば神が護まもるので
何事も思う様にスラスラと心配なく出来るのです
区別と順序をわきまえていれば
何様を拝んでも良いのです
時、所、位に応じて誤らなければ弥栄えるのです
同じ愛、同じ想念のものは
自然に集まって結ばれるのです
天国の形、写しが奥山です
味噌も糞も一緒にしているので気をつけて下さい


  ・第627帖・・・
神心には始めも終わりも無いのです
全てがあるのです
世界を見て下さい
三千世界をよく見て下さい
すべてが秘文ひふみです
他力の中に自力があるのです
自分だけでは成就しないのです
同じ所で足踏みばかりです
愛は愛だけでは愛ではないのです
真は真だけでは真では無いのです
まつり合わせて「・」を入れて
愛となり真となるのです
愛だけが出ると悪となり
真だけ出ると偽となる事があるのです
いつわりと悪とまつって祀り・祭り
善のハタラキをする事があるのです
心して下さい


  ・第628帖・・・
難しい事を言わないで やさしく説解いて下さい
ミタマは上中下の三段に別けて
説いて聞かせなければ仕組みが遅れるのです
最初は神様が手伝ってくれるのですが
向上したら自分でしなければなりません
いつまでも神を使っていてはいけないのです
理解は真から意思は善からですが
今まではそれで良いと説いて来ましたが
いよいよ岩戸開きとなったのですから
のカギを渡しますので よく心得て下さい
今までの教えでは幻まぼろしなのです
教えでは力が無いのです
まつり合わせて意思とハタラキ入れて
理解出来るのです
まつりまつりと言ってあるでしょう
上のまつりです
まぼろしとは人間の知恵の事です
人間の知恵とは理屈の事です
理屈とは悪の学の事です
みち・りでなければならないのです


  ・第629帖・・・
学や我を出すから行き詰まるのです
生まれ赤子と言うのは学も我も出さない
水晶の様な人のことです
練り直して澄んだ水晶は結構なのです
親の心が分かったら手伝いしなければなりません
手伝いは言われない先にするものなのです
いつまでも小便小僧ではいけないのです
人は罪の子ではないのです
喜びの子であり神の子です
神の子だからこそ悔い改めなければならないのです
真の無い愛の道、悲しみの喜びからも
生まれることもあるのです
それは罪の子と言うのです


  ・第630帖・・・
次の御用とは神示を移す事です
神示をうつすとは
神示を人に世界にうつす事です
神示を中心にした世界のハタラキをして下さい
「・」を通じた人間の仕事を仕え祀って下さい
神示を「・」した世界をつくる事です
神示に囚われるから神示は分からないのです
神示を捨てて下さい
仕事に神示を生かして生活して下さい
生活が神示ふでです、分かりましたか
早く次の御用を急いで下さい
宗教に生きて宗教にとられないで下さい
仕事が宗教なのです
小さい事から始めて下さい
小乗の行と馬鹿にしてはいけません
小乗の行から大乗の真理を掴むのです


  ・第631帖・・・
理屈で進んで行くと最後には
自分で自分を食べる事になるのです
神様を真剣に求めれば
神様は真剣に人を導いてくれるのです
結構に導いてくれるのです
悪を意思して善を理解する事は許されないのです
悪を意思して善を理解しようとするのが悪です
善を意思して悪を理解しようとするのも悪です
悪を意思して悪を理解するところに
善としての悪の能はたらきが生まれるのです
幽界もまた神の治める一面の世界です


  ・第632帖・・・
悪の大将は奥に隠れているのです
一の大将と二の大将が大喧嘩すると見せかけて
世界をワヤにする仕組みは
もう九分通り出来ているのです
真の理解に入ると宗教に囚われなくなるのです
形式に囚われなくなるのです
真の理解に入らなければ真の善も  真の信も
真の悪も、真の偽りも分からないのです
今に岩戸が開いて明らかになったら
宗教は要らないのです
政治も要らないのです
喜びの歌が高らかに鳴るとの仕組みが
二二富士にうつるのです


  ・第633帖・・・
人を幸福にするには心の向け方一つです
人はいつも善と悪との中にいるのですから
善だけということもなく
悪だけということも無いのです
内側に神が居て、外で人と和し
内側に霊が居て外を体に和せば
それで良いのです
ここに喜びが生まれるのです
神から出た教えなら 他の教えとも協力して
共に進まなければならないのです
教派や教義に囚われるのは邪の教えです
豚に真珠とならない様にして下さい
天国の意志は人間の喜びの中に入り
幽界の意志は悲しみの中に入るのです


  ・第634帖・・・
いよいよ表の守護となったのです
表の守護とは良いものもなく 悪いものもなく
ただ喜びだけの守護となる事です
悪いものが悪くなるのは表の守護ではないのです
心得て下さい
一つの魂を得る事は一つの世界を得る事です
人間は一人では無いのです
神は善人の中にも悪人の中にも呼吸しているのです
悪が無くては生きて行けないのです
悪は悪ではないのです
外道の悪が悪なのです