・第612帖・・・
天地の理ことわりを書き知らせます
この巻は白金しろかねの巻です
天国だとか霊国だとか地獄だとか浄土だとか
穢土えどだとか言っていますが
そのような区別は無いのです
時と所と位に応じて
色々に説いて聞かせてあったのですが
時節が到来しましたので
誠の天地の理ことわりを書いて知らせます
三千世界の中の一つがこの世なのです
この世もまた三千に別れ
さらに五千に別れているのです
「この神を五千の山に祀って下さい」と
言ってあるでしょう
今の人々の知り得る世界はその中の八つです
人によっては七つしか分からないのです
日の光を七色と思っていますが
八色であり九色であり十色なのです
人は六色か七色にしか分けられないでしょう
岩戸が開けるとさらに九、十となるのです
隠してある一厘の仕組み、九十の仕組み
成就した時には何もかも分かるのです
八つの世界とは、△、▽ア、オ、ウ、エ、イです
八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固
三は霊の液、二は霊の気
一は霊のキと考えて良いのです
「キ」とは気の気です
その他に逆の力ちからがあるのです
九と十です
その上にまた霊の霊の固から始まっているのですが
それはムの世界、無限の世界と心得て下さい
霊界に入って行けばその一部は知れるのですが
直ちにすべては分からないのです
分からない事は分からないと
分からなければならないのです
(参考・分からないことは分からない)
天が息吹けば地が息吹くのです
この事をよく「わきまえて」下さい
地の規則が天の規則となる事があるのです
この大切な事は忘れないで下さい
思いの世界が天で、肉の世界が地です
思いは肉体と一つで、二つで、三つです
思いが起こって肉体が動くのです
肉体が動いて思いが動く事もあるのです
生まれ赤子の心になって聞いて下さい
何もかもハッキリと映るのです
陰と陽、右と左、前と後
男と女と考えていますが
タカミムスビとカミムスビと考えているのですが
別のミナカヌシが現われるのです
よく見て下さい
⦿、🌀(うず)、などなど卍、十、+など記号を
(正確に記号を表記できませんでした)
よく見て下さい
一であり二であり三であるでしょう
「三」が道と言ってあるでしょう
陰陽二元でないのです
三元なのです、三つなのです
「・」が無ければならないのです
「・」にも隠れた・と現われた・とがあるのです
このことをまず心得て下さい
皆さんは父と母から生まれ出たのでしょうか
そうではないでしょう
三人から生まれ出ている事が分かるでしょう
どの世界にも人が住んでいるのです
⦿の中に⦿があり、その中に又⦿があり
「限りないのです」と知らせてあるでしょう
皆さんの中にまた人が居て限りないのです
この神は人々の中にいると知らせてあるでしょう
人も八人、十人の人によって生きているのです
また十二人でもあるのです
守護神と言うのは心の中の自分の事ですが
だんだん変わるのです
自分と自分と和合して下さいと言うのは
八人十人の自分が和合する事です
それを改心と言うのです
和合した姿を善と言っているのです
今までの宗教は肉体を悪だと言って
心を善だと言って肉体をおろそかにしていたのです
それは間違いである事が理解できますか
全てがよいのだと言う事が理解出来ますか
地獄が無い事が理解出来ますか
悪を抱き参らせなさいという事が
これで理解出来ますか
納得出来るでしょうね
各々の世界の人がその世界の神なのです
この世では皆さん人間が神なのです
あの世では皆さんの心を肉体としている
あの世の人がいるのです
それがカミと言っているものです
あの世の人をこの世から見ると神ですが
その上から見ると人なのです
あの世の上の世では神の心を肉体として
神がいるのであり限りないのです
裏から言うと神様の神様は人間様です
心の守護神は肉体だと言ってあるでしょう
肉体が心を守っているのですが
だからと言って肉体が主人顔してはいけないのです
どこまでも上に(中に)従うのです
順番を乱すと悪となるのです
生まれ赤子を踏み越えて
生まれ赤子になって聞いて下さい
みなさんの本尊は八枚十枚の衣を着ているのです
死ぬということはその衣を上から脱ぐ事です
肉体の衣を脱ぐと中から出てきて
また八枚十枚の衣を着ける様になっているのです
理解できるように言っているのです
取り違いしないようにして下さい
気が天から地に降って来てものが生命し
その地の生命の気がまた天に反映するのですが
まだまだ地には凸凹があるので
気が天に帰らずに横にそれる事があるのです
その横の気の世界を「幽界」と言うのです
幽界は地で曲げられた気の作り出す所です
地獄では無いのです


  ・第613帖・・・
分かりやすく言うならば
宇宙は「・」真と愛の現われなのです
愛と真ではないのです
「・」愛、真、善、智ではありますが
愛真でもなく、善智でも無いのです
愛と真が善と智と現われ、喜びとなってハタラキ
「・」が加わって弥栄えた生命なのです
愛のみというものは無いのです
真のみというものも無いのです
愛と現われ真と現われるのです
人は現われたものだけしか分からないのですが
詳しく言うならば愛には真が隠れ
真には愛が隠れ、その奥に「・」があるのです
人は親を父と母に区別していますが
母と現われる時は父がその中に居て
父と現われる時はその中に母が居るのです
いずれも親なのです
父となり母となって現れるのです
愛と真、善と智と今までは区別して
説かせておいたのですが
いつまでもそんな所で
まごまごさせてはおけないのです
「・」が分からないといけないのです
「・」の「・」が分からないといけないのです
男の魂たましいは女
女の魂は男と言ってあるでしょう
人間の目に愛と映るものは外の愛
真と映るものは外の真です
内側から言えば外はお役の悪なのです
今が過去で今が未来なのです
時間に踏み迷わないで下さい
空間に踏み迷わないで下さい
皮一枚脱いで心でよく考えて下さい
いつも太陽日が出ているでしょう
いつも月が輝いているでしょう
ちからそのものに力は無いのです
霊と肉の結びだけで力が現われるのではありません
プラスとマイナスと組み合わせて
ちからが出ると思っているのでしょうが
一歩踏み出さなければならないのです
プラスとマイナスと合わせたのでは
プラスとマイナスです
それだけでは力ちからが出ないのです
「・」の力が加わってそこに喜びが出て
みちとなり、なり、なりて
真実と現われるのです
弥栄えが真実です、神です、神の心です
龍神と言っていますが龍神にも二通りあるのです
地からの龍神は進化して行くのです
進化をウソだと思うのは神様迷信なのです
一方、天からの龍神は退化して行くのです
この二つの龍神が結ばれて人間になるのです
人間は土でつくって神の気を入れて
つくったのですと言ってあるでしょう
岩戸閉めと岩戸開きの
二つの御用のミタマがあると言ってあるでしょう
ミタマの因縁は恐ろしいのです
愛と智は呼吸して喜びとなるのです
喜びは形をとるのです
形なく順序ないものは「〇」なのです
善と真のハタラキを完全にするには
善と真の差別を
ハッキリとさせなければならないのです
融け合わせ結んで喜びと現われるのですが
区別する事によって結ばれるのです
「・」しなければいけません
すればするほど力強く融け合うのです
大きな喜びとなるのです
このことは日月ひつきの人には分かるでしょう
道は三つです、納得出来るでしょう
小の中に大があるのです
無の中に有があるのです
ものが益々小さければ、益々清ければ
益々内側に大きなものがあり
益々純なものがあるのです
神は皆さんの中にありますが
外にもあると言ってあるでしょう
ウムを良く見て下さい
愛はそのまま愛でないのです
真はそのまま真でないのです
善はナマでは善でないのです
智はナマでは智でないのです 
「・」を入れて結んで融けて喜びとなるのです
喜びは生命です
宇宙の総ては生命であるのです




  ・第614帖・・・
⦿の中の・の中の⦿は一であり、二とひらき
三と生命するのです
みちは一であり二であり三なのです
も二も三も同じであり
違って栄えるのです
一二三ひふみなのです
この事は教えられても分からないでしょう
はらで分かる事が大切です
はらが大切なのです
こり固まってはいけません
「・」にとらわれると・は分からないのです
地の定規じょうぎで計ってはいけないのです
いかなる天国も自分でつくるのです
算盤そろばんは捨てて下さいと言ってあるでしょう
喜びは理みちです、数です、真理です、愛善です
生命のイキという事分かるでしょう
天国と言うのは一人の大きな人間です
天国は霊人だけが住む所では無いのです
みなさんも今天国に住んでるでしょう
霊人もこの世現界に住んでいるいるでしょう
この世を離れて天国だけの天国は無いのです
ですからこの世現界で天国を生み出し
天国に住めない人が
死んでから天国に住めるという道理は無いのです
アメツチと言ってあるでしょう
この道理をよくわきまえて下さい
善とか悪とか真とか偽とか愛とか
憎しみとか言うのは相対の天国です
誠の天国には喜びだけが生きているのです
喜びの中に融け入って
喜びそのものとなっているのです
喜びを食べて喜びを着て喜びを呼吸して
喜びを語り合ってうれし嬉しとなるのです
要らないものは形が変わって来るのです
新しい生命が湧き出るのです
善が悪と、真が偽と変わった時には
死となるのです
その死は新しい別の生命と現われて
新しい形の新しい世界の善となって
真となるのです
善も悪もないのだと言ってあるでしょう
善悪はあるのですが無いと言ってある事
理解出来ましたか
自分自身の己のための善は死んで
善のための善は弥栄えるのです
死んだものは新しい形をとって生命するのです
弥栄の道、神の喜びは人の喜びの中にあるのです
愛だと言って愛に囚われているのです
真だと言って真に囚われているのです
喜びに生きて下さい
宗教に囚われてはいけません
道に囚われてはいけません
喜びに生きて喜びに囚われない事です
お互いに喜びの湧き出る事でなければ
真の愛ではないのです
みちではないのです
天国には理みちがあると言っていますが
今の人が言ったり考えたりするような
みちではないのです
みち無き理みちなのです
喜びが理みちです
うれし嬉しの理みちを早く合点して下さい
生命が栄えるものはみな喜びなのです
信仰とはその喜びの中に融け入る事です
生も死も無くなるのです
時間や空間を入れるので知が通じなくなるのです


  ・第615帖・・・
凸凹でこぼこがあるので力が現われるのです
凸凹でこぼこがあるために善だけでも呼吸し
また真しんだけでも呼吸いきするのです
偽善者も真を語り真を伝える事が出来るのです
愛を語る事  が出来るのです
幽界と言うのは  凸凹でこぼこの映した国なのです
地獄では無いのです
「仙人は幽界に属している」と
聞かせてあるでしょう
取り違いしているのです
愛は真と和して愛と生きて、真は愛と和して
愛によって真の力が現われるのですが
愛だけでも愛なのです
真だけでも真なのです
ただし能はたらきは無いのです
はたらきが無いものは力ちからが無いのです
喜びが無いのです
喜びが無いものは滅びるのです
「・」が入らなければ悪となるのです
はたらきが無いものは罪で穢けがれなのです
善と悪と二股二道かけてはいけないのです
みちは一本と言ってあるでしょう
悪は悪としてのお役があるのです
悪と偽りの中に悪の喜びがあるのです
善と悪の二道の中には
二道かけては喜びが無いのです
喜びが無いものは滅びるのです
お役の悪とは悪と偽りの悪です
悪と善との二道かけての悪では無いのです
心して下さい
悪は悪にだけ働きかけることが出来るのです
善に向かって働いても善はビクともしないのです
ビクついたり悪に引き込まれるのは
自分に悪があるからです
合わせ鏡と言ってあるでしょう
悪の気を断って下さい
心の鏡の凸凹でこぼこが無くなれば
悪は映らないのです
悪は無いものなのです
本来悪が無いとは悪に力が無いのです
悪があればこそ向上するのです
悔い改めが出来て弥栄えするのです
人の能はたらきがあるのです
「・」を忘れてはいけないのです


  ・第616帖・・・
人間には自由は無いのです
真の自由は大神だけにあるのです
大神の自由の一部が喜びと共に神に流れて来て
神に流れて来た自由はまた神の喜びとなって
人間に流れて来るから
人間自身は自由を持っていると信じているのです
本質的には自由は無いのです
人間には自由の影があり、それが反映するのです
それを人間は自由だと心得ているのです
自由の反映があるから悪にも善にも
陽にも陰にも為し得るのです
また進歩、弥栄するのです
悪自由を人間は自由だと心得ていますが
それは自由ではなく自分自身の首をくくるものです
善自由こそ真の自由なのです
自由は神から流れ出るのです
他の世界と交流するのは
他の世界に住む人間を通じて行うのです
世界とは人間のことでもあるのです
人間が世界であるのです
よく心得て下さい
と-と〇と「・」であるのです
+の陰かげには-があり
-の陰かげには+があるのです
その和の状態が〇であり「・」いのちするのです
+は+だけでは力ちからが無いのです
-は-だけでは力が無いのです
+と-とだけでも動きが無いのです
生命いのちの喜びが無いのです
よく心得て下さい
〇があって+-があって
+-があって「・」があって和があるのです
ここの道理をよく納得して合点して下さい
+は人間にとって直接の喜びでは無いのです
〇の中に十が直々の喜びなのです
━も直接の喜びではなく
〇に┃か〇に━が直接の喜びであり
その二つが和して「・」して
うれし嬉しと弥栄えるのです
天地の中間を中界と言うのです
天の息吹きと地の息吹きの中間です
天国へ行くのも、行かないのも先づ落ちつく
死後の始めての世界です


  ・第617帖・・・
元の元の㋰から(記号略)中界を経て
ウの現界に至る悉ことごとくの世界が
すべて人間に関係あるのですから
肉体はウでありますが
たましいは㋰に通じているのですから
㋰は喜びですから
喜びが人間の本体ですから
神界と言っても、現界と言っても一本の国ですから
人間からすれば人間が土台ですから
神の礎いしずえですから
神が鎮まれば神人となるのですから
神界、中界、現界を貫いていなければ
誠の和合をしていなければ
誠の喜びではないですから
誠の喜びが大神ですから
大神のハタラキは人間によるものですから
心しなければならないのです
「・」しなければならないのです
天使とか天人とか言うのは
みなそれぞれの国の人間ですから
喜びの人間ですから
この道理が分かったら
地の世界と中の世界と天の世界とは
みな同じで、もちつもたれつですから
三千世界ですから地の上に災いがあると
天の国にも災うのですから
天の国の生活は地の上に根をつけているのですから
遠くにあるのではないのです
同じ所にあるのです
幽界と言うのは道を外れた国のことです
「地獄は無い」と言ってあるでしょう
この事は間違えない様にして
「地獄、地獄」という言葉はやめて下さい
言葉からものを生むのです
ただものが違うだけですから
人間の心が神に通じる時は喜びとなり
幽人に通じる時は悲しみとなるのです
通じる心があるから心に自由があるのです
弥栄えがあるのです
この道理をよくわきまえて下さい
天人にも結婚もあれば仕事もあるのです
死もまたあるのです
死とは住む段階の違う場合に起こる現象です
死とは生きることです
人間はみな「神かかっている」のです
神かかっていない人は一人もいないのです
神かかりが無いと呼吸しないのです
この事は分かっているでしょう
霊人は人間の心の中に住んでいるのです
心を肉体として住んでいるのです
その中にまたさらに住んでいるのです
やさしく説いて聞かせてあるのです
霊人と和合しているからこそ
神カカリであるからこそ
三千世界に働き栄えるのです
神界のことも理解できる道理です
幽界のことも理解できる道理です
人々の言っている神カカリとは
幽界の神カカリです
ろくなことは無いのです
神カカリも
神カカリと分からない神カカリは結構なのです
誠で真実だと知らせてあるのに
まだ分からないのですか


  ・第618帖・・・
天国がうつって地が出来ているのですから
霊の国はさらに立派、絶妙です
天界のものは光り輝き
幽界のものは暗くなる違いがあるだけです
その時の状態によって変化しますが
全ては神が与えたのです
現界と同様に与えられているのです
時間、空間もあるのですが、無いのです
同じ状態にあれば同じ所に住み
変化すれば別の所に住むのです
見ようと思えば念の中に出て来て
見ることも語ることもできるのです
見たくないと思えば見えないのです
自分で見て自分で語るのです
時、所、位、すべてが
想念のままに現われて来るのです
分かるように言うならば
時間も空間も映像であり状態が変わるだけの事です
元の状態、本質は限りなく無限で自由ですから
霊界は無限、絶対、自由自在なのです
現界では時間や順に得たものでも
心の中では時間や距離に関係なく
一か所に並べられるでしょう
心の世界で時間、空間が無い道理は
これで分かるでしょう