随分とまた西野の古い時代の話をになると
話題が増えてしまうものです。
ましてや長文書く癖が失せた頃に
いきなり文章書き始めると
ロケットブースターの様に勢いがとまらないのです。
古い時代の西野の事について書いても
部外の方にはおそらくちんぷんかんぷんでしょう。
西野という地区は
更科蕎麦の店なら大抵潰れません。
長命庵が意外と短命だったのと
西野さくら歯科の場所にあった
美濃屋さんが福井の奥に移転したのと
志ぶ家さんが上手稲神社近くに移転した位で
その他は店主が体力的な問題で店を閉める以外は、、、。
西野の蕎麦屋はほぼ安泰。
むしろ新規参入してきても
おいそれと潰れません。
ただラーメン屋さんで西区西野あるいは界隈にあって潰れていないのは
平和の阿里山と西町の味の広龍と
比較的新しい店では なるとさんタンタンさん
木蓮さん 櫻島さん 西味さん位なもの。
食堂なら 和とかあるいは居酒屋入幸さんとかね。
昔のラーメン屋さんで懐かしいのは
手稲東小学校の斜め向かい理容のミズタニさんと
和服屋さんの横にあったラーメン屋さん。
西山製麺の舟が多層積みされていた
いつも店の前を通るとダブルスープのいい匂いがしていた。
あのお店の名前が思い出せない。
西友西野店敷地内にあったラーメン屋も
名前が思い出せない。
もしかしたらどちらも寶龍チェーンのちがう
チャンネルのお店だったかもしれないけど。
まず
福井方面から思い出そう。
安藤商店向かいで居酒屋入幸さんの昔の
店舗横にあったラーメンどんちゃん。
溶き卵の入った即席麺風でびっくりしたなあ。
それから西野二股道路拡張前の
近藤理容室横にあった宝来軒。
店にも行ったし出前も良く頼んだ。
800円のチャーメンをよく食べました。
なんの変哲もない味だったけど
調理温度がしっかりしていたから
変に癖になるのだった。
それから
西野二股のベーカリーベルの斜め対岸に
店舗が2つあり今はもうなくなったけど。
入れ替わりが激しく最後には
寿司の家河童と焼鳥大が5年位前まであったはず。
その焼鳥大の店舗の一番最初が
函館ラーメン磯吉ではなかったかな?
磯吉は西野で苦戦してすすきのの
MAX66というビルに移転した。
移転してから初めてそこに食べに行ったけど
もの凄いインパクトはなかった。
今のその場所はビル名も変わりお蕎麦屋さんに
なったが
おかげや?
どうやらそのお蕎麦屋さんも閉店?
あと
西野のマスカットボアの対岸の近くに侍コーヒー
というカフェがあるがそこに
笑福というラーメン屋さんがバブル末期まであった記憶がある。
今でも南区に同じ店名のお店があるが
忍者ラーメンというメニューがあり
あれはいったいなんだったのだろう?
普通に塩か味噌しか食べなかった
めんぞうもありましたよね。
今はさんぱちですね。
めんぞうは店舗が減ってしまい。
出身者は結構独立したようです。
あと
西友西野店の正道通りには
数年前まで林花という中華屋さんがありました。
あの中国人女性オーナーはオイラの知り合いでしたが
それよりずっと前 昭和58〜62年まで
同様の場所に くうべ というラーメン屋がありました。
かなり繁盛していて
篠路の秀峯さんみたいな感じの
味と盛りの良い店でした。
その後お店は平成になると稲積公園駅?
手稲プールの方に移転しますが10年営業していたかどうか?
おとなしい太った店主が
真面目にラーメンを作ったいたのが印象的でした。
そして現在の発寒南駅や西町の辺りにも
ラーメン店は2店あったけど
店を畳んだようです。
あと爐より下にラーメン末っ子がありました。
7年位前まで営業したような
まるで絵に描いたような頑固オヤジのお店で
対岸に丸正食品があった頃は少しでも店の前に車
を停車すると怒鳴られるという恐怖も
味わいましたが
閉店する前は店主は比較的温和な感じに
なっていましたよ。
あとこの界隈で不思議と潰れない
パチンコ甲子園横の宝園w
せっかく西区西町まで範囲を広げたから
この店出さないと。
 
今から7年くらい前に閉店した香林坊。
創業オーナーが蟹も販売してました。
開店当初はおいしかったけど
末期は味が劣化しちゃったみたい。
衛生管理もイマイチでしたねw
でも
このお店の話題は今でもSTVラジオなどで話題になります。
看板に偽りはなかったのか?
あと
追記します。
オイラの家の近くに
ラーメン櫻島の最初のお店がありました。
たぶん20年位前。
臭くてマズくて食えたもんじゃなかった。
しかし平成8年位に北1条通りのびっくりドンキー向かいに店を出してから
破竹の勢い。
かなり美味しいお店になりました。
ダメな店から起死回生の繁盛店になった良い例です。
 
それでは、、、。