東日本大震災から2年。

寒い寒い冬を、仮設住宅で耐え一生懸命暮らしている東北の方々。


 なんとか力になれないものかと思いながらも、わずかな募金だけで済ませ、

自分の日々の暮らしに戻ると、「震災は過去のこと」のような顔をしている他のエリアに住む日本人。



「心をひとつに」っていい言葉ですが、

関東や西日本にいるとただの見せかけの言葉のように聴こえてしまうときがあります。


例えば、「震災がれき」という言葉。

私は昨年、家族を立て続けに亡くし、また親しかった友人を亡くしました。


大事な人が使っていたもの。暮らしていた部屋。

乗っていたバイクや車。好きだったもの…


 残された人にとっては、そのひとつひとつが、かけがえのない想い出とともに大事な宝物となっているはずです。


 「震災がれき」は他の人からみれば「がれき」でも、遺族にとっては、大切な家族と過ごした家の一部であり、想い出の品かもしれない。


 確かに、表現するために何らかの「言葉」をつけなければいけないのは分かっていますが、

私だったら、「いらないもの」として口にされるのは辛いです。



 私が、静岡県民として、体中の血が逆流してしまうんじゃないかというくらい怒りを覚えたのは、

その「震災がれき」の受け入れを表明した島田市が、「がれきの中に、受け入れ条件には入っていないコンクリート片が入っていた」と大騒ぎし、被災地の担当の方を呼びつけて謝罪させ、さらに、その「がれき」を送り返したというニュースを聞いたときでした。


 静岡県民として、あまりの恥ずかしさに、そして怒りに、体が震えました。


「放射能汚染の可能性がある」?

そのせいで、被災地産の食品は敬遠する?


 馬鹿馬鹿しい。被災地にいる方々が毎日暮らしている場所です。

哀しみの中で、「生きていくために」と大事な「がれき」を撤去する決意をし、

新しい生活に踏み出そうとしているのに、金銭的・物質的な支援もままならないのに、さらに精神的な傷を負わせるのか……。


「心をひとつに」。

みなさん、日本人として、同じ「人」として。


本当に大切なことは何か、もう1度心に問いかけてみませんか?

そして、被災された方々に私たちができることを、真剣に考えて、行動しませんか?