菩提樹に行って落ち葉拾いをした話。書き直し版
こんばんは。
「スジャータ」と聞いて「時報」または「白いひろがり…」と言える人は
ラジオを良く聴いている人だと思ます。
僕は人の名前であるなんて事を知ったのは大人になってからです。
旅に出るときガイドブックを持つ人も多いと思います。
やっぱり詳しい「ロンプラ派」の人,基本は押さえている「歩き方派」の人
それとも「旅行人派」の人。
もたない派、あるいは図書館でコピー派といろいろあると思います。
僕はとりあえずは「歩き方を図書館でコピー派」です。
しかし歩き方は情報が間違っていたり最新版ですでに古いということもあるので、あくまで参考程度という場合もあります。
僕の場合は街の地図を破いてポケットに入れてブラブラするのでボロボロです。
インドに行くときは帰りに香港によります。
(もちろんオモチャを安く買うために)
2冊ワンセットで持ち歩きますが、
もう古くて香港は地図から無くなった建物も多くあります。
さて今日は聖地についてご紹介します。
外国に旅に出ると宗教は切っても切れないです。
観光に行っても多くのバックグラウンドにあるのは宗教です。
その国と歴史を知るには宗教を知えう必要があります。
宗教と言えば「聖☆おにいさん」は面白いしろいのですが「なんとかのメッカ」と言うだけでもダメといわれているのに大丈夫なのかと思いますが、日本人の今の世の中だからありえるんでしょうね。

僕は宗教に熱心ではありませんが 各宗派にしたがい法事やお寺参りをします。
そんなわけで僕は世界の人に「ブディスト」であるとはっきり言います。これは大雑把な意味で言っているだけです。
日本の仏教は…と言い出すと長くなるのでやめますが
「仏教と神道にまつわる何かしらのものに畏敬の念をもっている。」くらいの考えです。
しかし最近は堂々と「無宗教です。」「無神論者です。」と完全否定の人が増えています。
よく言われますが外人には、あまり理解されないので言わないほうが良いです。
「神はいない!」なんていえば目を真丸にして驚く人だっています。
「…いや心の中にいる。」なんて取り繕っても遅いです。
これが宗教の引き起こした数々の惨劇を元に宗教を否定する似非ヒューマニズムであれば馬鹿な話です。
ともかく誰しも普通の人ならば何かしらの「宗教心」はもっているはずだと思っています。
「無宗教」で「無神論者」ならば言うだけではなく箪笥蹴るのと一緒とばかりに家の仏壇とお墓を蹴倒すくらいしてから宣言してください。
さて「世界三大聖地」と呼ばれるものがあります。
まず一つ目は…アフリカの…おっとそれは「三大性地」でした。
今日は本当の聖地「仏陀が悟りを開いた菩提樹」にまつわるお話です。
菩提樹のある街ブッダガヤーに近い街ガヤーはとても苦々しい思いをした思い出の地です。
それはまた別の話として、仏陀が悟りを開いた菩提樹はマハーボーディ寺院の裏手にあります。
例によってイスラエルにて没収されたカメラに写真が入っていたので画像ナシですが、ここにきたら菩提樹の葉っぱをもちかえらねば意味がありません。
しかし決して枝からちぎってはいけません。
寺院の僧侶もそう言っていました。落ち葉ならばいくらでも持って帰っても良いと。
実際は言われた訳ではなくてで
「木からとるダメダメ、落ちてるの拾うOKOK!」と言う感じのジャスチャーをされただけです。
そこで落ち葉を捜すのですが、綺麗な落ち葉なんてそうそうあるもんではないです。どこか色がくすんでいたり、形が悪かったりと自分でコレだという一枚を探すべく子一時間ねばりました。
実際みやげ物屋で売っていますが、本物かどうかわかりません。
もちろんインド人は
「ホンモノ、ハッパ!No タカイ!」
と言います。
なんだかこれではマリファナの売り文句のようです。
そんな眉唾物より木の下にあるものを拾って帰りたいです。
そして見つけたのがコレです。
決して菩提樹の木、自体は珍しい種類ではありません。インドではよく見かけます。
もちろん「今、ここで」拾うことに意味があるのです。
日本に帰ってから「仏陀が悟りを開いた菩提樹の葉っぱやで。」
と婆さんに薀蓄たっぷりで見せると「ありがたいありがたい。」
と言っていました。
しばらくして「世界ふしぎ発見」をみているとブッダガヤーのオリジナルの菩提樹は昔に切られてしまって、今ある菩提樹はスリランカから持ってきた枝木を大きくしたもので、ホントに仏陀が悟りをひらいた菩提樹のオリジナルに一番近いものはスリランカにあるといっていました。
これにはぶったまげました。
いつの日かスリランカにいってオリジナルの菩提樹の落ち葉も拾って帰りたいものです。
と、こんなところでお終いです。
また明日!さいなら~!