ゴラン高原にいってみた! | キラキラ玩具Expansion

ゴラン高原にいってみた!

こんばんは。


旅をしていると、ときどき「自分探しの旅ですか?」なんて聞かれることがありました。


そう聞かれたときに「たぶんこの人には、一生会わないだろうな」

はたまた少しでも旅の行程が同じになるときがないと思ったら、面倒くさいので「ええ、そうですよ。」と答えていました。


これは「私はいい年して今だ自分をわかっていません」と自己紹介しているようなものです。


ある程度の年数生きた人間がちょっと旅に出たくらいでそうそう何かが変わるもんではありません。同時に自分が発見できるというものでもないと思っています。


僕は旅でいろんな経験をしても自分が成長したなんて事は感じたことはありません。


せいぜい「世界ふしぎ発見」の正解率があがるくらいのもんです。


一回外国に訪れて、しかも観光地を転々をしているバックパッカーであるとしたら(本当に根底から)人生観が変わるなんて、稀有なことです。


もし人生が実りあるものになれば、その人はラッキーです。


僕の場合、昔は旅に出ることでかっこつけていましたが、たんなる現実逃避の逃げ紀行でした。



第一に気楽に旅をするのがちょうど良いし楽しくすごせます。


とは言え旅の目的は人それぞれ、とやかく言うもんでもありません。


今日は場所と内容だけに、いろいろ思うところもそれぞれにおありでしょうが、あくまで僕の主観とそのとき見たことの印象です。


さて今日はシリアのゴラン高原の話です。


ちなみにここへの行き方は…


シリアの歩き方にも乗っているダマスカスの安宿近辺から歩いて新市街の内務省のオフィスに出向きます。そこでパスポートを提示して入域パーミット(許可証)をもらいます。


申請は簡単ですが時間がかかるので、ゴラン高原まで日帰りをするためには朝早くにオフィスに出向くのが吉です。


旅行者が滞在する安宿街とは違って新市街は閑静な住宅街です。


ダマスカス自体が比較的綺麗な街ですが、新市街はもっと綺麗です。


あとは近くのバス停からバスに乗ります。


実際は旅行者が訪れる場所はクレイトラというところです。


「クネイトラ!クレイトラ!」と言っていれば、他のシリア人がバスを教えてくれますので安心です。


海外で英語が出来ないと大変!なんてことは無く流暢に英語を話さなくても身振り手振りでお互いに理解しあえます。


これが英語圏なら英語を流暢に話せないと普通に馬鹿にされるときがあります。


英語圏の人々は日本でもバスを尋ねるときもいきなり英語で話しかける人もいるので、「英語話セテ当然ネ!」と思っているのでしょう。(憎ったらしいことです!)



さてクレイトラではみんな始めはこのロータリーに到着するようです。

個人ではうろうろ出来ないのでガイドが付きます。


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廃屋と山のほうにレーダーが見えますね。


UN関連のものは写真に撮ってはいけないといわれました。


写真を撮ってもいい場所とダメな場所があります。



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新市街でみた綺麗なダマスカスとは、すべてが違います。


行くまでは「どんなところなんやろう!」と思っていましたが、来なきゃ良かったと思いました。


僕は今までの人生の中でこんなに悲しくなる光景を見たことがありません。


そういうところです。


ここは教会です。


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教会の内部です。


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廃墟サイトを良く見ますが、そんな甘っちょろいものではありません。


シリアは「イスラエルの行為を残す」目的のために、破壊されたこの街をこのままにしています。


今は国連の管理化のもと非武装地帯になっています。


しかして一方でこうやって旅行者も簡単にいけて解放もしているので、シリア側のプロパガンダに利用されているという意見もあります。


行くのは本当に簡単です。


しかし行ってどう思うかが重要です。


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僕は大概のことでは何とも思わぬ鉄面皮ですが実際にこの場所に行ったときは引きました。


ここゴラン高原はシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルに囲まれています。


この地域の水資源と軍事戦略の都合でイスラエルが占拠し、1974年にイスラエルが撤退するときに破壊して去っていったので街はめちゃくちゃになりました。


冒頭のレーダーのある山からはシリアの首都ダマスカスまで見渡せるので軍事的に重要な拠点であったわけです。


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多くの若者が訪れ「イスラエルめ~!」と反イスラエル感情を高ぶらせるところです。破壊された教会に書かれた絵をみて「世界平和」を心に誓う地です。


と書けば、悪意満々ですが実際にそういう人が多かったように思います。


しかしこれが結構重要なポイントです。


前知識なしにこれを見せられたら、誰しもがそうなると思います。


しかし「イスラエル軍の行為」がダメと思うことと「イスラエル自体がダメ!許せない!」という考えにつながることは、別だと思います。


とくに何も考えずに見たものだけで「イスラエルが悪い。」という意見に

達するのは良いことなのでしょうか?


じっさい僕は「イスラエルすべてが悪い」とは思いませんでした。


このあとイスラエルに行かないといけない理由もあったし、イスラエルの知り合いには特別悪い感情も持っていません。


しかし帰りのバスで「あんな国になんで行くんですか!行く必要ないですよ!」と言われました。


非常に気まずかったです。キャッシュカードの暗証番号を3回間違えてお金が引き出せなくなお金を借りに行こうと思っていただけなので、ほっといて欲しかったです。


下の画像は病院です。

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いま尚残る銃弾のあとが生々しいです。


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たしかに酷い行為ではあります。

しかしそれで何かもを否定するには、事足りません。


銀英伝でも「あとは後世の歴史家が判断する。」といわれているように、素人が感情でいろいろ言ってはなりませんし、ましてやイスラエルの国民までを非難するような考えも持つべきではないと思います。


そんな理由で僕は旅行のブログを書くときはどうでもいい内容だけを抽出して書いています。


それと言うのも例えば「○○は酷い国である。行くべきではない」なんて書けば、知らない人には「そうなんだ」と捕らえかねられません。


「旅先で詐欺にあった。」とかいう笑い話とはまた違います。

こういう場所も行くと色々思うこともあるかと思いますが、偏った考えを持ったり、他人に偏った印象を植え付ける発言はとくに注意をはらう必要があります。我々素人ならばこそです。


しかしブログで声高に平和やらなんやらと語っても、オモチャがどうのこうの言っている人間の言葉なんてぺらっぺらです。



もしこれを読まれて中東問題に関して何かを感じ取ったのであれば、色々調べてみてください。


そして自分の目で、その地を訪れてください。


そして両者を見て、人々の生活に触れて考えてください。



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僕は行ったところで、自分の人生がいかに恵まれているかを実感し、何も出来ないと痛感します。

そこから、結局日常に戻って、それらのことを忘れてしまいます。


そしてふっと思い出したときに、わが軌跡を思い「あ~情けなや。」と思うだけです。


自分が浮き彫りになってしまうと、情けなくなってしまうだけです。

その割にはもっと悪いことに、僕は「思うだけ」で理解のあるそぶりをしながら何もしないという点です。


僕はこういう場所にいくと、「もやもやしたもどかしい気持ち」を持ち帰ってしまいます。


と、こんなところでおしまいです。





またオモチャの出来が悪いとか良いとか書くのとはぜんぜん訳が違います。