杉村太蔵先生と同じ歳のトモゾーが政治に言いたい放題言っちゃうブログ -3ページ目

タイゾー先生!!

 週間ポストにまたもやとんでもない記事載っちゃいましたねー。

 まー僕はどちらの本人から話し聞いてるわけじゃないからなんともだけど。有名人って大変だ~特に国会議員にもなると倫理も必要になるわけだから。だから、国会議員の給料って高くても文句言えないかなー自分時間なさそうだし、たえず、緊張してないと写真取られちゃったりだしね。

 そのかわりその自覚をもってがんばってもらいたいです。

昨日の続き う~ん

  千葉7区の衆議院補選だけど、な~んか完全に党の選挙になってきた。ジャンジャン自民党は大物議員から投入してるけど、こういう選挙ってきらいだな~昨年の衆議院選挙みたいで。あんまりやりすぎると有権者が良くも悪くも党だけで判断しかねないから。やっぱ有権者の人には自民党だとか、民主党だとか共産党だとか関係なく将来どちらが地元のため国のために働いてくれるかで判断してほしい。

 ちなみにさっきTVタックルみてたけど郵政造反議員の反対から賛成へのシーンで野田議員が賛成票をいれたあとの佐藤議員の発言「信念を曲げた」みたいな言い方だったけど、僕としては別に野田議員をはじめ賛成票をいれた議員の先生が、信念を曲げたのだろうか?そもそもべつに郵政のみが信念ではないだろうし、そのために議員になったわけではないから(まー反対だから票入れたって言う人もいるだろうけどね)でも、選挙終わってからのあの状況で仮に反対票に入れても意味がほとんどないからね~与党が多すぎてだからあの言い方はどうなのかな~?だって信念ってそんなこといってたら佐藤議員も当初、小泉総理の郵政民営化落第点つけてたから何も言えなくない?自分も意見変えたんだからそれでいいじゃん人の事なんて、あくまで反対票を投じた先生もあくまで自分の意思だしね。民主主義なんだからそれでいいんじゃないかなどっちがただしかったかは10年たてば郵政に関してはわかるでしょうちなみに僕は田舎出身で郵便局がなくなったら困るから反対ね。

トモゾー

簡単に!!

千葉7区の補欠選挙のことだけど同じ26才の太田候補微妙に可愛いとはいいずらいけど。(ある意味おばちゃんぽくて可愛いかも)でも、同じ歳で県会議員やってメール問題なんかで逆風のなか(当初の候補者があきらめる中)出馬に踏み切った度胸は尊敬できるな~是非がんばってもらいたい!!(太蔵先生応援いったけど自分と同じ歳ってしってるだろうから気合い入るよね~?)
トモゾー

結婚少子化

続きを書きたいと思います。
 「女性が働くようになったから少子化が始まった」なんてよく聞きます。ん~確かに昔にくらべ働く女性が増えたのは間違いはないし女性だって働きだして仕事が忙しければ婚期がおそくなった分だけ子供を産む人数が減るのは間違いない。現に僕のまわりでも20代後半30代前半で結婚してない女性は普通にいる。 ただ、少子化とそれを案に一緒に考えるのはいかがなものか?前にも書いたように早く結婚しようが産みたいと思える制度がなければ早く結婚しても第2子をつくらない夫婦はつくらないから女性が働くことと一緒にはならないでしょう。
まー少子化の問題の一番言い訳しやすい簡単な言葉なんだろう。
だけどそれは、女性だけのせいだろうか?そうじゃない。時代の風潮でもあるから仕方ないし、ある意味男に力がないというか、魅力がないというか女性のほうが能力があったから働く女性が増えてきたのが現状ではないか。
 じゃ少子化問題解決しないじゃないかって思われるがそうでもなく。要するに言い訳で女性だけの責任にしてはいけない。国会の答弁をみてると子供が生まれたあとの制度だけをつくって出産しやすい環境づくりを考えてるように見えるけど、そうではなく、本気で少子化を考えるならせっかく男女共同参画をやってるなら時代背景にそって、女性が働きながらでも出産しやすい制度、社会全体がそれをみとめれる制度を一緒に考えることが必要ではないか?それと、子供がほしくてもできない夫婦への支援も同じく考える必要がある
一度、ある議員の先生が「少子化なんてたいした問題じゃなく今までだって日本の人口は減ったことがあるんだから、減ればまた本能的に人間は増やすから少子化に力なんかいれる必要はない。日本の人口は国土に対して多すぎる」なんて言っていました。その先生にはあきれてしまった。確かに国土に対して多すぎるのは正しいかもしれない。しかし、人口が減った事があるとか本能的に増やす、なんて論理今の時代にありえないと僕は思う。人口が減ったことがあるなんて今まで戦争、飢饉、疫病、災害などさまざまなことがあったからで、現状のような豊かな時代におきたわけではない。本能的に増やすと言っても自分主義の今と、自分の欲するものが少なく豊かとは言えない時代の粗雑な言い方をすればすることがなかったとか、産めよ増やせよの時代と決して今の状態とは明らかに違うからその先生の言っていることは少子化を安易に考えてみえるとしか言えないのだ。
 今、日本が向かっているのは人口が減ることにより経済を支えている消費者を失い。同じように国を支える納税者も失い高齢者が多く将来の国を守り国民を守ってくれる若者が激減する時代を迎えようとしています。要するに日本という乗り物を操縦する世代が激減してしまうのである。今の時代にあっていて、何十年先のための制度を考え将来、安心、安全な暮らしができる世の中にするにはやはり一定の若い世代が必要であるからこそ少子化は必要ではないかと思う。
トモゾー

結婚2と少子化

 結婚と子供がいるというのはそんなに甘いものではないことを友人から知らされた。自分の使えるお金が少なくなるわ。子供が幼稚園に入ればまたさらにお金がかかる。さらに成長すればよりかかる。今も昔も女の子のほしい子供の人数は平均2~3人と聞くけど友人から言わせればとんでもないらしい。よく「子供が生まれたってお金なんてなんとでもなる。自分達もないなりに子供を育ててきた」なんて根性論をぶつける大人がいるけどあながち間違いはない。自分達がほしいものを我慢したからだ。しかし、僕から言わせたらそれはあくまで根性論だ。今の時代物が豊かにありほしいものは昔より遥かに多くあり、生まれたころから欲しいものを欲しいだけ与えられてきた我慢することをしらないわがままな僕達の世代の若者にそんな根性論通じるわけがない。しかも、その根性論はひとむかしのように親との同居もしくは親が裕福だったことがあって成立する論理である。確かに自分達は同居もしてないし、親の力も借りてないって声が聞こえてきそうだけどそれでも、景気が
よかったり、近所の人に助けてもらえる時代だったからではないか。
先程、書いたように物が豊かになり、欲しいものを我慢できない世代にはもはや根性論は通じるわけなく極端な話、間違いなく二人目の子供より自分の欲しいものを偉ぶだろう。それが今、問題になってきている少子化問題の答えの一つだろう。
だから、こんな状態の世代に行政が医療負担を15才まで引き上げるとか幼稚園から大学まで義務教育なんて制度をつくってもまったく無意味で浮いたお金を自分の欲しいもの楽しいことに使うのがオチである。 もちろんやみくもに現金で支援してもダメだと思うし、世間がなっとくしないだろう。
じゃその問題をどうしたらいいのか?制度もダメならやっぱり現金か?確かにそれが一番いいだろう。そのかわり例えば子供が生まれて成人まで育てるのに1000万~2000万かかるなら二人目には100万三人目には200万と現金をだす、そのかわりだした補助の分だけは領収書を絶対的にださせる。本当に子供が欲しければそのくらいはできなくもないだろう。確かに世間の一部は納得しないかもしれないけどのち日本の将来の担い手への先行投資であり、その子達が納税してくれ国レベルでの地産地消を行なってくれれば安いものではないか。と世論には納得してもらうしかない。
やっぱ結婚はまだないなこんな厳しい状態では。 とにかく、少子化についてはまだまだ書きたらないのでまた今度つづきを書くとします。

結婚願望

突然ですが結婚願望について。
最近、まわりで同じ歳(杉村太蔵先生も含め)の結婚がめだつ。しまいには後輩にまで先をこされ結婚されるしまつ。正直、今は結婚願望はないに等しいが焦りを感じないわけでもない。まだ男の26だから大丈夫なんて言われてもなんの説得力もない。まーなぜ焦るか、唯一の理由を言えば早く子供がほしいからと、友人をみて思うが結婚するとなぜか学生時代にチャラチャラしていた男でも一家を背負ってることもあり人間として大きくみえるからです。
確かに上記の事が羨ましくもあるが後程書くが結婚、子育てはそんなにあまくはないだろうし、自分のお守りもまだできない人間がまだ結婚はないだろうとも思う。
 まー親戚にはプレッシャーをかけられ始めたが、とりあえずは今年の大河ドラマの「功名が辻」の千代のような女性か、「利家とまつ」のまつのような女性をゆっくり探そうって簡単にいるもんでもないし、自分に魅力があるかも疑問である。なんにせよ、他人と他人が一緒になることは難しいことですね。近々ご結婚される皆様おめでとうございます!!
トモゾー

発達障害との出会い

 先日、仕事で発達障害児に出会った。そこでその家族にたくさんの事を教えてもらった。発達障害でもたくさん種類があること、程度があること。などそのことをふまえて昔話を書こう。

 その前に僕は26年間でいろんな障害をもった人と出会うことができたことに感謝したい。その中でも海外留学していた頃に出会ったホームステイをさせていただいたお家にいた当時12歳の知的障害者の(だったと思うけど)女の子の話をまずしたいと思います。その子に出会う前の僕はかなり障害者に対してひいき目で確かに今ないかといえば嘘になりますが、その当時は本当に障害者に対して冷たかったと思います。しかし、その女の子と家族に出会って、生活をするうちに徐々に自分の中の障害者への大きな壁が取り払われていったのです。英語もほとんど話せず何もわからずきた異国の地でまず、そこのお母さんに教えてもらったのは自分の娘とのかかわり方でした、辞書を片手に身振り手振りの状態でその子は癲癇(お母さんが辞書で教えてくれたので間違いないと思う)をもっているからもし、自分といるときにその症状がでたたどうしたらいいのかなど正直に言えばひいき目だった僕は何がなんだかわからずとんでもないところにきてしまったって感じでかなりへこんだって言うのが気持ちでした。でも、次の日からその女の子は昼間はほとんどしゃべりかけてこないのに夜になると毎晩、毎晩、僕の寝室までめちゃくちゃに甘いお菓子、もしくはバターたっぷりのお菓子を運んできてくれるようになったのです。はっきりいってマズイお菓子を食べながら最初は話すこともなくすぐ出て行った女の子と日がたつにつれゆっくりとだけど夜一緒にいる時間がながくなり、昼も話すようになりって言ってもこっちは英語ができない女の子は学力が遅れてるわけだからある意味赤ちゃん同士が喋ってるように周りには見えたのかな(笑)そんなこんなで家族同然ですごせるようになり、女の子が癲癇用の薬を飲みすぎてフラフラ起こしてても発作がおきても動じなくなり本当の妹みたいに思えるくらいでした。

 ちなみにそのこには2つ上の兄がいてまーほとんどはその兄と一緒に遊んでバカなことやってたんだけど、兄は兄で妹に悪ふざけもするけど(そんでいつも父ちゃんに怒られてんだけど)妹をだいじにしてて家族の絆みたいなことも再確認できたし、イメージ的にダークなイメージがあった障害者をもつ家庭がこんなにも明るくてお互いを大切に思えるなんて思いませんでした。ものすごく簡単に書いちゃったけど本当に思い出深い自分の人生観というか人間性を変えてもらえた、感謝してもしきれない経験をあの家族には教えてもらうことができました。そしてその家族には本当に心から感謝をしたい。最後はウルルンたいざいきばりに号泣してしまいました。(ちなみに笑い話でそこのお母さんが僕に最初にくれたものは何でしょう?答えは最後に書いておきます。)

 長くなっちゃいましたが、本題に戻ると先日出会ったその発達障害の子とその家族方はその思い出を思い出させてくれるくらい明るくそして一生懸命まだ小さな子供なんだけど自閉症でその子は全然僕にはよってきてくれないんだけどいつか仕事で通ううちに、あの女の子のように話せるようになりたいと思った。

 その先日出会った家族が思い出させてくれた異国の家族に恩返しがしたい。って言ってもできないから、いつか今よりもっと勉強して政治の世界に身を投じたときに異国の家族に恩返しができない分同じような障害をもった人や家族に対して政治が何をしなければいけないのか、家族が何を必要としているのか、自分が何ができるのかをもっと勉強したいし、教えてもらいたいです。

 何もできないかもしれないけど、発達障害者支援法だって最初は地方の発達障害者のお母さん達から国会議員に要望をだして生まれたんだからがんばって訴えれば政治の力も役にたつ!

 もし、このブログを読んでくれた障害を持つ方やそのご家族の皆さんいろいろ教えてください。

尚、失礼な表現があったらごめんなさい。

最後に途中のクイズの回答・・・・・・・・お兄ちゃんが昔使ってたジュニアスクールの教科書(つーか絵本)をプレゼントにもらった。そこまで自分はひどかったのかと思い出しへこむ 

トモゾー          

政治とは少し離れるけど。

最近、自分のなかでうれしいできごとが、それは最近自分達がなくしていた日本人としてのプライドみたいなものを野球やサッカーが思い出させてくれていることです。少し前に行なわれたワールドベースボールではあの寡黙なイチロー選手から日の丸へのプライドみたいなものを感じました。そして、僕自身、大勢の人たちと決勝を見ていたわけですがその時も日本中ですべてとはいわないけど野球がわかってもわからなくても老若男女とはず限りなく多くの人が日の丸を背に応援していたのではないか本当に4年前のサッカー日韓大会を彷彿とさせる思いだった。
 海外にも足を運ぶ僕は日本人と他国の人の大きな違いはナショナリズムとパトリオティズムの有無だと思う、決して日本人にないわけではないが他国の人と比べると歴然としているといつも淋しく感じる。米国はもちろんのこと国々が集まる欧州の人はあくまで自分の国が一番だという意識が高い。それをみて羨ましくも思う。日本ではまだ愛国心や祖国愛を語ると右よりだのどうのこうの言う人がいる。国を思って何が悪いのか?当たり前ではないだろうか?それがわからない。
 しかし、話を戻すことになりますがサッカーではまだ日本が一番になるのは難しいと思ってる人が日本では大半だが野球に関しては日本が世界で一番であってほしい。と言う日本人の思いがつよくでたWBCは僕のなかでは祖国を愛する気持ちを思い出させてくれた良いきかいであったのではないか、戦争や政治的な事で戦うのではなくスポーツを通じて国の威信をかけるなんて良いことではないでしょうか。
 サッカー用語で「ワールドカップは国同士の威信をかけた戦争だ」なんてよくいいますが、サッカーほど世界中の国で行なわれているスポーツもないだろうからこの4年に一回の祭典をきかいに表現は別として日本代表には日の丸を胸に戦っていただきたいし、僕も日本人の一人として日本代表応援団として結果はどうあれ気持ちを一つにして応援したい。
かなり意味不明な事かもしれないですがとにかく今の気持ちを書いてみました。トモゾー

市町村合併の不安

不安

 市町村合併の不安とは?前回の話で合併のメリットみたいなものを書きましたがデメリットもやはりあるわけで、例えば行政のサービスの低下はそのもっとも大きな問題ではないだろうか、今はまだ合併したばかりだからそこに住んでいる人に目に見える問題はでてきていないだろうと思う。見えてわかることは、医療負担の違い、合併する前は12歳までは負担してもらえたのに合併したら3歳になってしまったとかねだけどこの医療負担に関してはそもそも国の加護を受けてる市町村単位で一律ではなかったことにそもそも無理があったわけで都道府県単位で考えてもらいたいから理解してもらいたい。

 これからはどんどん目に見えて問題が出てくるだろう。その一つにこれは市町村合併が進む前の話だけど、どうやら自分は放浪癖があるようで、人口3万に位の市に遊びに行ったところ、そこの中心地自体はまあまあ昔ながらの商店街もありけっしてはやっているとはいえないなりにも観光客もいてにぎわっていた。しかし、偏屈な僕はそれだけでは満足しないそこからちょっと足を伸ばしたくなるのだ、そうするとびっくりその中心ちから数キロのところにいくととても市とはいえない現状があったのだ。それは確かに小さな集落があるのに夕方になるとまともな街灯がついていないのです。道もタイムスリップしたかのようにボコボコしててこれじゃまだ2000人くらいの人口の村のほうが明るいじゃないかと思うほどに。なにがいいたいかというとね。要するに合併してしまうとその吸収されたその小さな村はいずれこうなってしまうのではないかという不安がよぎるわけで、これがきっと将来行政サービスが落ちたときに合併の問題として小さな過疎の村消滅の原因になるのでは、確かに合併関係なく少子高齢化が進む中いずれは小さな過疎の村は滅んでいくのかも知れないけれども合併の進むなか思い出した少し寂しく考えさせられることです。 そうなれば地域の文化も消失することにもつながりかねない。日本は世界に誇れる地域文化が多く存在すると思うけどそれもやっぱり消失する可能性ってものすごく高いと思うし僕個人としてはかなりそれはかなりの問題だとおもう。

では、その不安をどう解消すればいいのか解決策にならないが、提案としてかくなれば、国策としてねせめて合併したところには今ある最低限度の行政サービスを(出張所の職員の人数の現状維持とか削減できた議員の給与の全額とまでは言わないが、3割程度は自治体運営費に回し少なくなってもいいからある程度の予算は国から半永久的に回してもらいたいし、地域コミュニティーや道の駅でその地域が稼いだ分はその地域で一括管理運営させるとかね。)こういったことを考えて国で法令化(アシスト)してある程度苦渋の選択をして合併した市町村の文化の消失、地域性の消失をなくさないようなことがほしいわけでたぶん国会議員の大半はそんなことも考えず、ただただ、市町村合併を推し進めているだろう。だから合併した地域の皆さんも自治体運営費などを確実にかくほできるように国に嘆願することは必要だと思いますよ。自分の大事な故郷を合併させたんだからそのくらいやんちゃ言ってもバチはあたらないでしょ。

 

 なかなか、書いていても難しい問題でうまく書けないけど、やっぱ合併には問題はつき物で、自分の故郷の名前が変わってしまうとかさまざまあるけど、合併してない町村の特に議員の皆さんに言いたいのはしたくないのもわかるけど、本当にしなくても大丈夫なのでしょうか?計算してますか?税収、観光収入などでやっていけるのですか?今までのように確実に予算が回らなくなるから合併はしたくないとか、自分の支援者が納得しないとか理由はさまざまだけれども、現状はやはりしなければいけないのではないのでしょうか?今までの世界でもまれにみるくらい優遇されてきたのだから今度は、皆さんが支持者を回りあるいて現状を説明し納得してもらい、新しい市なり町なりの議員になっていかに自分の故郷を埋没させないための方法を考え中央行政に訴えていくべきではないでしょうか。がんばれ地方議員の皆さん!!!

明日は尊敬している女性企業家にあえて話がきけるのでワクワクしてる

トモゾー

市町村合併の成功

今日は、市町村合併について

 1999年4月には全国で3232市町村あったのが2006年4月には1820市町村(40%減)に減少した政府がおこなってきた市町村合併のとりあえずの結果です。この成果を見てまずは成功ではないかと思う。なぜなら単純にいえば1999年まで3232市町村にまわされてきた予算を1820市町村に減らすことができたからだ。なぜ、7年間でこの40%減という成果が得られたのか、それは(このブログを読まれている方は良くご存知の方が多いだろうけど、もし初めて目にしたという人がみえたら興味を持っていただきたいので書きます。)政府が各市町村にだしたアメとムチといわれることの成果でしょう。

アメ

 20053月までに合併した市町村には施設建設などでできた借金の7割を国が肩代わりしますとの特例債の発行と、合併後10年間は地方交付税をいままでどうり維持します。

ムチ

 上記のことは面倒見ません。自分たちでなんとかしなさい。

と、まーこんな感じでプレッシャーをかけられては自分のところで税収などが見込めないところは困ってしまい近隣と「合併しましょうか」というわけです。

 しかし、政府もいまいち成果が見えなかったのに焦ったのか当初は2005年の3月だった期限を1年延ばして今年の3月にしたわけで、そしたら700合併したところが増えて最初に書いた1820市町村になったわけです。

 確かに、この国の財政が切迫している時代に40%も市町村が減ってくれれば国としてはものすごくいいことではないか、僕自身も寂しいけどしかたがないと思う。

 今日はなぜ、こんなことを書いたのかそれは今一度合併して良かったことを自分なりに見つめなおしたいからである。自分の私見でトップ2を書きます。

 では、成功例(あくまで自分の私見です)。

 *一番は市町村議員の削減!!

  これは、かなり自分のなかではかなり大きい成果だったのではないだろうか、僕自身はっきり申し上げて今、まだ合併しないで市町村議員をやって見える方には申し訳ないが、今までかなりあなたたちは多すぎました。だいたい人口2000人切るような村で村議会議員が10人以上いてその議員に月約12万円位の給料が支払われて、プラス村長やら役職に何十万と支払われてるわけでしょ。これは、似たような市、町も同じで(市会議員になると給料がグンと上がる分だけたちが悪い)いくら市町村議員も人口割で人数がぎまってるとはいえいらないでしょう、しかもたいがいが、お年寄り。これは、市町村議員だけではなくすべての議員に通じるけどあまりにもお年を召した方が生きてるかわかんない10年後20年後をみすえて本気で議論できるとは思えないから。(その代わり議員を若くする分首長はある程度の歳をとって経験をつんだ人でもいいかな(べつに若くてもいいけど)っていうのが僕の持論)話がそれたけど、とにかく自分のための名誉職みたいな感覚でやってみえる市町村議員が減ったことに関しては僕はかなり満足してます。

 *格差はあるけど旧の町村に危機感にともない独自性が出てきたこと

  これも、上記のことも関係してくるんだけど、予算が回ってこないことを理解し始めた旧の町村に住んでいる皆さんならびにそこから新しく市会議員なられた方がアイデアを出し合い自分の郷土が埋没しないようにその町村の独自の物を生かしそこから新しく何かを生産し、新しく地域の皆さんが働ける場を作るといった努力をすることによって合併にともなう旧の町村の埋没を努力によってカバーしている。これこそが合併の成功例といえるのではないか。

 合併をすることにより議員の削減、地域の独自性の発掘ができたのが成功したことの1つではないかそして合併し言い方は悪いが、議員を振るいにかけるたことにより以前にも必要性書いたが個々の議員のレベルアップにもつながっているのではないか地方議員のレベルが上がれば、その地域の住民も自分の地域を本当に活性化させ守っててくれるのは誰なのか考えて選ぶことにより地方議員も勉強し努力をするそうすれば地域組織のレベルが上がり本当の意味での市町村合併が成功するのではないか。

 地方の自治が独自にレベルを上げることが日の本の国力を上げる方法のひとつなのです。

 次は合併の不安と解決方法などをかきます。

トモゾー