子どもたちの憧れとなる大人を増やす

社会保険労務士の大門です。


今回は

自分の人生に

明るい未来を描ける人と

そうでない人のちがいについて

考察します。


「明るい未来が待っている人」

「お先真っ暗な人」

を分けている差について

真剣に考えてみたことは

ありますか?


人生は誰しも

その経験したこと自体が

身体を使った実験、検証です。


今、あなたが

心配事や不安、悩みに捕まっていて

「何で自分がこんな目に遭うんだろう」

と思っているうちは

視野が狭くなっていて

その経験する意味が

見えていません。


私自身も

経験しました。


「どうしてこんなに人間関係で

悩むことが多いのだろう?」

と。


職場のリーダーをやっていたときは

チームの輪を乱す人に手を焼き、


自分勝手な行動をする部下を叱りつけて

パワハラだと上層部に訴えられて

降格させられたり、


パワハラ上司に当たったり、

同僚から胸ぐらを掴みかかられたり、、、


しかし

悩みに悩みながらも

それらを引き起こす原因がわかりました。


それは「自分自身」にあったのです。


もちろん相手の行為は

許されるものではありませんが


相手が「攻撃してくる」要因を

前に前に遡って

抽象度を上げて観察すると

自分自身の心に

相手をどこかバカにしていたり、

見下していたところがあったのです。


あなたにとって

人生で最大の学びとは

何でしょうか?


学校での授業や資格の勉強、

ネットビジネス、マーケティングなどでは

なく、

私が経験したように

「痛い目に遭った人生経験」

が直接潜在意識に書き込まれた学びなのでは

ないでしょうか?


痛い目に遭った時に

自分の人生における課題を知ること。


これを避けていては

同じようなことを何回も何回も

経験するのです。


経験した、過去のことをずっと長い間、

「不幸だ」

と思い続けて嘆いている人は

想いが

「成仏できていません」


自分の「課題」に気づかなかったり、

無視し続けたり

抵抗したり

他人にお金を払ったりツールを使って

解決したように思っている人もいます。


未来というものは

誰しも予測できません。

以前の記事で

神ですらそれを啓示することは

出来ないと私は述べました。


だからこそ

明るい未来を描ける人は

「より良い可能性の選択」

をするのですが

何事も

「経験した後から」

でないと

それがあなたにとって良かったか、悪かったか

などの評価は出来ないのです。


ここでポイントは

「今まで自分が選択して行動してきたことは

すべて正しい」

という感覚です。


「痛い目に遭ったこともあの時、あの経験が

あったからこそ今の自分がある」

と腑に落ちることです。


スピリチュアル系の人は

悩みがある人に

「感情を手放しましょう」

なんて言ってますが

そもそも人は

自分の肉体と感情を

切り離すことは出来ません。

(切り離したら死んでしまいますw)


ですから

解釈を変えることです。


私のメンターの方は

その習慣がつくと

「過去との和解」が起こる

とおっしゃってます。


私自身は経験しました。


過去のパワハラ上司と

和解したり

過去に不採用になった会社と

ビジネスパートナーになったり

揉めた元部下が職場を去ったり

いろいろありました。


私自身も前の職場で

痛い目に遭ってから

行動の習慣を変えて

人間関係のトラブルは

「ピタっ」となくなりました。


そして今の

「お客様となる会社さんの経営や

社風を良くする仕事」

に就くことが出来たのです。


過去との和解が出来ずに

自分の人生を後悔し

ネガティブを引きずっている度合いが

多い人は

ネガティブにフォーカスするので

ネガティブになる可能性、道を

選択しているのです。


自分の未来を創るとは

自分のゴールを決めることですが

「浄化」出来ていないと

未来のゴールも

ネガティブが含まれた、

自分がもともと持つ能力を発揮することが

出来ない、制限されたゴールになってしまいます。


ですから

あなたも私も今やるべきことは

「今」が充実するように

自分の課題に全力で取り組むことです。


そうすれば

未来は開けます。


私は40を過ぎてから

そういう境地に至りましたが

歳が若くても

たくさん行動して人生経験を積んだ人は

その行動、経験の足跡を

俯瞰し

自分の「本当の望み」「自分の役目」を知り

それらが調和するようなゴールに

向かって歩んでいます。


羽生結弦選手や大谷翔平選手などが

良い例です。


成功者と言われる人を観察してみて

気づいたことがあります。


幸せに生きている人は

自分の名前どおりに生きて

悟っています。


若い頃は

そういう名前をつけた自分の親の「願い」

(それは考えようによっては「呪い」に

なることもあります)

にそぐわないような

生き方をしていることも

あるでしょう。


あなたの名前の漢字に込められた意味や

念を一度調べてみることを

勧めます。


その名前も

ポジティブ、ネガティブ両方の意味で

解釈できるのです。


例えば

「清」さん。

「こころが清らかで人に対して正直。その人の内には

濁りがない」

と言えますが

「欲がなく自分の利益を追求しようとしない」

など

とも解釈できます。


人生の前半は後者のような生き方かもしれませんが

自分の本来の望みとお役目を理解し

それをゴールとして進んでいる人は

人生の終わりが近くなったとき


「満足した人生だった」

と言えるのは


「名前の通りに生きることができた」

と心の底から

思えるからかもしれません。


私自身は

「人間関係が豊かになること」

それが課題であり、望みです。


若い頃、それが苦手だと思っていたからこそ

「試練」がありました。


それに100パーセントの完成度は

ありませんが

どこまで行っても

満足することなく

追求し続けるというのが

ゴールの正しい設定の仕方なのです。


あなたの人生におけるゴールは

「濁り」のないものですか?