あなたはあなたらしく人生を送ってますか?

今置かれている状況があまり良くないなら
「ほっといて。私の人生だから」
となるでしょうし、
ちょっと落ち着いた気分で
ブログを読んでいるとしたら
自分のことを振り返る余裕があるかも
しれませんね。

今、大河ドラマで流行りの明智光秀ですが
世間では今まで
「主君に逆らった逆臣」
というネガティブなイメージが定着していました。

しかし明智光秀の子孫の明智憲三郎さんを
はじめ色々な方の研究で彼に対するイメージが
変わってきています。

まず明智光秀は信長を討つという大願を叶えた時点で
自分のゴールの一つを達成しています。
ただし秀吉に敗れ去りました。
これはひとえに
「情報戦」に負けたと考えられます。

インターネットのない、安土桃山時代においても
現代と同じようにいかに情報を手に入れるかは
死活問題です。

その情報とは、、、
光秀が信長を討つという情報です。

これは秀吉があえて知っていた上で中国地方の
毛利氏との和睦交渉をわざと遅らせ、
本能寺の変の情報を聞くやいなや
「大返しのための準備」
をしていたと考えられます。

光秀が小栗栖で討たれた、
というのも秀吉が流させたデマである可能性が
大アリです。

それは
秀吉が家来に書かせた、
「惟任退治記」
自体が信用できるものではないからです。

明智憲三郎氏によると
信長は家康を討つつもりで接待したが
生まれた隙に
接待役の光秀に
自分を討たせるチャンスを
与えてしまった、
ということです。


ではなぜ光秀が勝者なのか?
それはまた次回以降のお楽しみになります。^_^