先日、大型商業施設(大型スーパー)に勤める知り合いに聞いた話です。

 

いわゆる流通業は毎日たくさんのお客様が来店されるため、

本当にいろいろな方がいろいろなことを店側に行って来られるそうです。

 

その中でも「特異」なケースをご紹介します。(具体名は出しません)

 

とある60歳は過ぎたとみられる老夫婦が飲食店に入り食事を注文されました。

 

食事の途中で男性の方が店員さんを呼びました。

 

店員さんが事情を聞くと

 

女性(奥さん)の方が食事の一部を誤ってテーブル下にこぼしてしまったそうです。

 

店員さんがテーブル下を掃除して

 

「同じものをお持ちします」

 

と言ってばあさんがこぼしたものと同じものを持ってこられました。

 

その夫婦は黙って代わりの食事にありついた後、

 

男性の方が再度店員さんを呼び、何と言ったと思いますか?

 

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「ここのテーブルに段差があるやろ。これのせいでウチの家内がこぼした。責任者を呼べ」

 

こぼした当人の女性は何も言わないまま。

 

店員さんはとにかく謝り通して何とか収めたそうです。

 

第三者的にこういう状況を見たり聞いたりしていると滑稽に感じませんか?

 

しかし、ここまで状況はひどくなくても我々も

普段の生活で同じように

「どうにもならないことで責任転嫁をしている」

ことがあります。

 

昨日、アドラー心理学の勉強会があり、出席しました。

アドラーでは

「(人が動くとき)原因と目的の葛藤はない」

との立場を取ります。

つまり人は

「目的があって動いている」

ということで

起こった結果の原因を追及するよりも目的から考えた方が理解しやすいということです。

 

例えば、ある生徒が不登校になったとしましょう。

これに対し

「母親が毎日外出して遊びまわっていたからだ」

とか

「父親がいないからだ」

とか

動かない事実を追及しても仕方がないわけです。

 

それよりもその子供が

「学校に行かないことで周囲に知らしめたい」意図

を見ないといけないわけです。

 

勘違いしていただきたくないのが

何でもかんでも原因追求は良くないという意味ではありません。

 

経営判断や調査業務など原因追求が仕事の場合もあります。

TOYOTAなどの製造業でも不具合品が発生した場合、「なぜなぜ分析」をやります。

 

これを混同して人間関係や子育てで「なぜなぜ分析」をやるからおかしくなるのです。

 

子どもに向かって

「あんたはなぜそんなに悪い子なの?」

「なんでそんなこともできないの?」

「お兄ちゃんはできたのになんであんたは・・・」

 

なんて言ってませんか?

 

物事の原因を突き詰めて考えることで陥るワナとして

「原因は結果の前に必ずある」

という考えに固執してしまうことです。

 

そうすると何でも他人のせいにしてしまう傾向になります。

「今の自分の人生がうまくいかないのは前世で何か良くないことがあったからだ」

とか

「自分の容姿が良くない、頭が悪いのは先祖のせいだ」

ということを言う人がいるわけです。

 

アドラーが「目的があって人が動いている」というのは

つまり

「自分の人生は、他人のせいにするんじゃなくて自分で責任もっておとしまえをつけろ」

ということだと解釈できます。

 

最初に述べた老夫婦は、「自分たちが招いた災厄をあくまでも自分以外のせいにし」

「被害者意識をもったまま」

人生の終末を迎えるのでしょうね。

 

それで良いのでしょうか?

まあ、他人の人生はどうでもよいですけど・・・

心理学を学びだしてこうした他人の行動を俯瞰してみることができるようになってきました。

 

反面教師にさせていただいております。

ありがとうございます。