「お客様は神様です」
私が大学を卒業して入った会社で
毎朝こう言わされてました。
その度に「違和感」を感じてました。
会社は接客業でお客様から
「お叱りや怒号」
をいただくことが多く
当時新人だった私は
「こんな感情むき出しの人たちと崇高な神様を一緒にするなんて間違ってるやろ。
ちょっとイッてる人の集まりの会社か?
嫌だなあ」
と思ってました。
しかしわれわれが
生きていくために必要な肉体や魂を神様が無条件で与えてくださったありがたさが
お客様からいただくお金なくしてはわれわれの事業な成り立たず、生きていくためにはお客様が一番大事だということ
と同視していることがだんだんわかるようになってきました。
「お金を増やしたかったらお金を使え」
と言う人もいます。
ただその言い方だけでは言葉足らずです。
正確には
「お金が喜ぶ使い方をしましょう」
ということです。
それは
今私が学んでいる「倫理」の「人が幸福になるための原則」
の中にもありますが
「物はこれを生かす人のところへ集まる」
のです。
私は仕事でよそのご家庭にうかがうことが多いのですが
例えば子どもの机の上を見るとよくわかります。
勉強机なのにキャラクターグッズで埋め尽くされていたり整理整頓がなされずにグチャグチャであったりすることがあります。
当然ながらそういう子どもの成績は
勉強に関心がないゆえに低空飛行を続けています。
ですから私は
「勉強しやすくなるように」整理整頓をさせます。
勉強に関係のないものは視界に入らないところへしまわせます。
モノは黙っているからといって雑に扱うことはないようにしたいですね。
ところでモノが喜ぶ使われ方とはなんでしょうか?
それはモノに期待された本来の目的に合った使い方をすることです。
仕事中、工具のドライバーをハンマー代わりに使って怪我をした人がいます。
それはまさにモノ言わぬモノからの人間に対する無言の抵抗とも言えます。
さてお金のことに戻りますが
お金とは元々は価値の交換手段として人が生み出したもの
ですから「人に」「価値を感じてもらう」ような(人が喜ぶような)使われ方が
お金にとって本望
私が普段お世話になっている「師」からも
先日
「自分の払ったお金がどこへ行ってどういう使われ方をしているのか」
関心を持つことがお金が喜ぶ使い方を考えるようになるとのご指摘がありました。
たしかに行き先が怪しいものにはお金を使いたくありません。私が募金箱にお金を入れないのもそういう理由です。
「恵まれない人たちのために愛の手を」
と言われても
募金箱を持って立っている人がどういう人かわかりません。
つまりは
「価値」を感じるのは人の心ですから
「人が喜ぶような使い方」
が一番良いのです。

私が大学を卒業して入った会社で
毎朝こう言わされてました。
その度に「違和感」を感じてました。
会社は接客業でお客様から
「お叱りや怒号」
をいただくことが多く
当時新人だった私は
「こんな感情むき出しの人たちと崇高な神様を一緒にするなんて間違ってるやろ。
ちょっとイッてる人の集まりの会社か?
嫌だなあ」
と思ってました。
しかしわれわれが
生きていくために必要な肉体や魂を神様が無条件で与えてくださったありがたさが
お客様からいただくお金なくしてはわれわれの事業な成り立たず、生きていくためにはお客様が一番大事だということ
と同視していることがだんだんわかるようになってきました。
「お金を増やしたかったらお金を使え」
と言う人もいます。
ただその言い方だけでは言葉足らずです。
正確には
「お金が喜ぶ使い方をしましょう」
ということです。
それは
今私が学んでいる「倫理」の「人が幸福になるための原則」
の中にもありますが
「物はこれを生かす人のところへ集まる」
のです。
私は仕事でよそのご家庭にうかがうことが多いのですが
例えば子どもの机の上を見るとよくわかります。
勉強机なのにキャラクターグッズで埋め尽くされていたり整理整頓がなされずにグチャグチャであったりすることがあります。
当然ながらそういう子どもの成績は
勉強に関心がないゆえに低空飛行を続けています。
ですから私は
「勉強しやすくなるように」整理整頓をさせます。
勉強に関係のないものは視界に入らないところへしまわせます。
モノは黙っているからといって雑に扱うことはないようにしたいですね。
ところでモノが喜ぶ使われ方とはなんでしょうか?
それはモノに期待された本来の目的に合った使い方をすることです。
仕事中、工具のドライバーをハンマー代わりに使って怪我をした人がいます。
それはまさにモノ言わぬモノからの人間に対する無言の抵抗とも言えます。
さてお金のことに戻りますが
お金とは元々は価値の交換手段として人が生み出したもの
ですから「人に」「価値を感じてもらう」ような(人が喜ぶような)使われ方が
お金にとって本望
私が普段お世話になっている「師」からも
先日
「自分の払ったお金がどこへ行ってどういう使われ方をしているのか」
関心を持つことがお金が喜ぶ使い方を考えるようになるとのご指摘がありました。
たしかに行き先が怪しいものにはお金を使いたくありません。私が募金箱にお金を入れないのもそういう理由です。
「恵まれない人たちのために愛の手を」
と言われても
募金箱を持って立っている人がどういう人かわかりません。
つまりは
「価値」を感じるのは人の心ですから
「人が喜ぶような使い方」
が一番良いのです。
