昨日の夜の事だ。

親父から電話が入った。

6日に心筋シンチ検査を行い、昨日の夜に先生から呼び出しがあったらしい。


結果。。。。。

親父の心臓は、やはり元に戻らない。


数年前に心筋梗塞を起こした心臓後面下部の筋肉は、

既に酸素を取り込むチカラが無いらしい。


先生は、『この状況ならバイパスしても、数パーセントの回復も見込めない。

それでも、バイパスを行いたいならお引き受けします。

が、一度息子さんとよく話して結論を出してください。

前面狭窄部に関しては、カテーテル手術にて大丈夫ですよ。』



親父は、即答したらしい。
『数パーセントなら、無理して開きたくはない。

それより、まだ大丈夫な前面のカテーテルをお願いします。』


親父らしい結論だと感じた。


でも。。。後面下部はそのままでも大丈夫なのか?

先生曰く、
『正直何年もつ等とは、言えません。3年・5年・10年・20年。。。。。

現状、既に心筋梗塞を起こして数年。その間なにもなかった。

確かに、他の人と比べたら健康な状況ではない。

しかし、それで数年しかもたないとも考えられない。

なにより、今は前面狭窄部を治療する事が一番でしょう。』


親父は開き直っている。

おふくろは、複雑な気持ちだったろう。

オレも複雑だ。


おふくろには、
『親父の好きにさせてやろう。そして、好きなだけゴルフさせてやればいい。』

そう伝え電話を切った。
26日の夜行バスに飛び乗ったオレは、
翌27日の朝、7:30に長崎駅前南口に着いた。

車中では、親父の事や、心配でパニくってるおふくろを考えると、
眠る事が出来なかった。

久しぶりの長崎だと言うのに、
全く周りの景色を見る余裕すらなかった。

8:00 病院に着いた。

前日の電話では、親父とおふくろは9:30に病院に入るとの事だった。

親父の事だ、長崎に行くと言えば必ず

『来なくていい。』

そう言うだろうと思って、黙って帰って来た。


しばらく、ロビーで時間を潰していると、親父とおふくろが受付に来た。

気のせいか、親父は痩せていた。

おふくろは、ボストンバッグを持ってオロオロしている。



不意に近づき声を掛けた。

『書類の書き方はわかりますか?』

こっちを見たおふくろは、驚いた表情で固まったが、
すぐにオレだと気付き、抱き付いて涙を流した。

親父は戸惑っていたが、俺に言った。

『仕事はどうした。』

やはり、思った通りの答え。

オレは笑って答えた。

『気にするなよ。会いたかったから来たんだ。』

そう言うと、親父も黙って微笑んでいた。



おふくろは、オレが戻った事がよほど嬉しかったらしく、
やっと冷静になれた様だった。

その日、先生と話した。

オレの主治医の事も話すと、この病院にも何度か来て、
一緒に手術をしたと言う。

カンファレンスルームで、俺たちは先生から今の状況と、治療方針の説明を聞いた。

やはり、親父の心臓は3分の1しか機能しておらず、
内、1本は100%、残り2本も75%の狭窄を起こしているという。

100%狭窄している所に関しては、やはりバイパス手術が必要との事だったが、
実際、心筋梗塞を起こした状態から3年は経っており、
壊死を起こした部分(完全に心筋梗塞が出来上がった部分)が、酸素を取り入れるチカラが残っているか、
それを調べないといけないと言う。

心筋シンチという検査だ。

この検査はオレも経験があり、親父には俺から説明した。

と言うのも、カンファレンスルームでの話は、先生はほとんどオレに向かって話していたからだ。

親父もおふくろも途中から意味不明になっており、
この病気の経験者であるオレが一番わかるからだ。

病室へ戻り、親父とおふくろへオレの状況を踏まえながら、
噛み砕いて説明した。

とにかく、今は先生を信じて治療に専念して欲しかった。

親父は、早く退院してゴルフへ行きたかったみたいだが、
説得して年内は止める様に話した。


何より怖いのは、本人に胸痛がないと言うこと。

オレは、発作があるから自分が今どのくらいの状況かわかる。


しかし、発作が来ずに発症したとすると・・・・。


それが怖いと伝え、まず心筋シンチ検査を受けて、再度先生からの話を聞くように、
お願いして岐阜に戻ってきた。


そして、今日、その心筋シンチ検査の日だ。

おそらく今週中に先生のもとへ検査結果が届き、来週早々に親父は病院へ行くだろう。

もし、バイパス手術となったとしても、今の医術なら成功の確率はほぼ100%。

ましてや、先生も信頼できる。



ただ、やはりおふくろは今よりパニくるだろう。

検査の結果を見て、また長崎に帰るつもりだ。
久しぶりの長崎。

何年ぶりだろう。およそ2年ぶりかな。

なんでこんな時期に?

本当なら、正月に帰って、恒例の家族ゴルフをするハズだったんだけど。


今回は、遊びではなかった。


俺が生まれて36年。
病気一つした事が無い、それも入院なんか一度もなかった父親。

その父親が入院したんだ。

ショックだったよ。

それも、心臓が悪いと来たら。。。。尚更。


オレ自身、31の時に、急性心筋梗塞で倒れ、
狭心症と診断。

その後、今まで何度もカテーテル手術をして来た。

でも、親父がまさか・・・・



最初にその話を聞いたのは、先月10月はじめの頃だった。





ある日、親父は何食わぬ顔でオレに電話して来た。


『お前、なんで入院したんやったっけ?
 病名ってなんだ?どんな手術したんだ?』

おかしいな。。。と思った。
その場はそのまま内容を説明して、電話を切った。

しかし、あまりに気になり、おふくろへ電話した。

オレ:『親父なんかあったんか?』

おふくろ:『アンタ、何も聞いとらんとね?お父さん何も言わんかったとね?』

オレ:『どういう意味ね?』

おふくろ:『言わんかったとばいね。。。お父さんの心臓、普通の人の3分の1しか機能しとらんって・・・』

そう言うと、お袋は泣き出した。


話の内容はこうだ。
生命保険切り替えの為に、検査受診した事が始まりだった。
心電図のT波に異常が見られたらしい。
親父は、大手の会社に勤めていた為、毎年の検診があり、しっかりとデータが残っていた。
そのデータによると、過去5年のデータを見ると、明らかにここ3年のデータがおかしいと言う。

もちろんその間、医者からは再検査の勧めをされていたそうだが、強情な親父は行っていなかった。

ところがそれがいけなかった。

詳しく調べる為に、冠動脈CTスキャンの検査を行ったところ、4本の血管が詰まっていた。

しかも、医者に言わせると過去5年~3年の間に、心筋梗塞を起こしており、心臓の裏側の下側の筋肉が、ほぼ機能していないと言う。
おそらく、バイパス手術が必要だと言う。

つまり、100%血管が詰まっている。

ただ、不思議な事に胸痛が全くないというのだ。

まして、本人はなんともなく、定年してからというもの、月に5回もゴルフへ行っている。

そうだとしても、正直良くはないのだ。


検査のあと、心配になりオレ自身の主治医に相談した。
すると、友人で長崎に信頼できる医者がいる。
長崎でも2本指に入り、日本でも有数の先生だという。

その病院は、実家から車ですぐのところだった。

親父にその先生の話をした所、あのガンコな親父が自分の主治医に相談したという。
すると、これも不思議な縁なのか、その先生が世話になって色々と教えてもらった先生だと言う。

すぐさま、紹介状を書いてくれて、そこに転院する事になった。
10/27朝から入院となり、手術になるという。



おふくろは、電話でパニクっていた。
どうしていいかもわからず、オロオロしてばかりだった。

親父は、相変わらず強がってはいたが、いつに無く少し弱気な影が出ていた。



そして、10/26の夜、
夜光バスに飛び乗り、長崎へ向かった。





つづく・・・・
また。。。
秋葉原で事件が起きた。
食肉偽装が起きた。
一家殺害が起きた。

・・・・・
どうしてしまったんだ・・・この国は・・・

毎日毎日事件が起きる。
情報化社会になったから、昔より沢山の事件が報じられてしまう。

それにしても。。。
俺たちの国ってこんな情けない国だったのか?

そんな毎日の中、人々は暮らしている。

以前は戦争やテロの話は、隣の国や遠い所の他人事だった。。
今は身近で起きている。

心の荒みか。。。

同じ日本に生きる一人として情けない。。。


長崎の大先輩のさだまさしさんの歌に『風に立つライオン』と言う唄がある。
実話に基づいて作られた唄だという。

オレがこの曲を初めて聴いたのはまだ長崎に居た、高校生の時だった。

さださんが毎年やっていた無料コンサート『長崎から・・・夏』の会場だった。

今でもあの光景は残っている。
感動で身体が震えた。

そして、最近あの曲を思い出した。

日本人が忘れた純粋な心。

この国より貧しい国の子供たちが、俺たちより遥かに美しい心と瞳を持っている事。

この曲を聴いて感じて欲しい。

せめて・・・・・このブログを呼んでくれている人達。。仲間だけでも。。

さだまさし『風に立つライオン』
また硫化水素をつかった自殺が起きた。

ココのところ連日のように《硫化水素》を使った自殺が起きている。
毎日、毎日大切な命の火が、自らの手で消えていっている。

オレの身内や友人・知人には自殺した者はいない。
だから、自殺した者の身内や知人の心の痛みを直に体験した事はない。

したいとも思わない。
そんな悲しい事実は起きて欲しくないからだ。

時として人は、色々な苦難や壁にぶち当たる。
乗り越えられる壁もあれば、自分の力ではどうにもならない壁もある。

落ち込み、悲観し、苦しみ。。。
最終的に自らの命の火を消してしまう事を選択しようとしてしまう。

確かにオレは身内や知人が自殺したと言う経験がない。
だから、当事者の気持ちはわからない。

冷たい様だが、メディアでアナウンスするアナウンサーや、週刊誌での記事の様に
『ご遺族の心を考えると痛いほど・・・』と言っても、
実際の当事者や関係者、そして、経験者しか、その心の痛みを解る事は出来ないだろう。

だが、《自殺をする者の心》はわかる。

恥ずかしい話だが、このオレも2度の自殺未遂を犯した事がある。
当時22歳だったから、いまから14年も昔の事だ。

今思えば、『そんな事くらいで・・・』そんな理由かもしれない。
一度目の結婚が終わりを迎えようとしていた時期だった。
内容はあまり話したくはない。

ただ、当時オレは奈良市に住んでいた。
そこで出会った女性と出会って半年で結婚した。
相手は5歳上の女性だった。
心の底から、本気で愛していた。

ただ、彼女は大人で、オレが子供過ぎた。
若さあまってのオレの行動が彼女の心からオレの存在を消させてしまった。
彼女の存在を失った俺は、自暴自棄になり生きる望みさえも失ってしまっていた。
まだ正式な離婚届を出す前だったが、自らを捨ててしまっていた。
まだまだ精神的に未熟だった。

そして、ある日死を決意した。
車で山の中へ行き、途中の薬局で買ったベンジン2本を飲んだ。
意識は朦朧とし、いつしか気をうしなっていた。

気付くと病院のベッドの上。
そして胃洗浄。
朦朧としながら、胃洗浄の苦しみ。
処置を終えると、そこには嫁が立っていた。

でもこの行動が結果的に決定打となり、嫁の心から『もう一度やり直す』という気持ちを消した。

その後、一ヶ月ほとんど会社には行けず、食べ物も喉を通らない。
体重は一気に15キロも落ち、肌はカサカサだった事を覚えている。

そして2度目の自殺未遂。
嫁が離婚届を役所に提出した日だった。

『すべては終わった・・・』
まるでこの世の終わりかの様に感じていたのだろう。
仕事で使っていたトラックの荷締め用のロープを持ち、生駒の山へ向かっていた。
嫁と二人で夜景を見に行った場所。
夜になると、そこからは淡路島の明かりが一面に広がって見えるポイントだった。

充分な太さの枝を見つけ、ロープを巻き・・・・・
一瞬だった。
痛みと苦しみが走る。
でも、それは《生》の痛みだった。

そして。。。生きていた。
絶対に折れることがなかろうと思える程の直径20センチはあろうと思われる枝。
生きている樹木の生木だから、ちっとやそっとでは折れない。

それが・・・・折れていたのである。

今のオレを知る人は
『体重重いから折れるやろっ!』って突っ込みそうだが、
実際、まるで刃物で切ったかのような折れ方だった。

信じられない事だが。

そして、正気を取り戻した。
『簡単には死ねないって事かな・・・』
そして、こう思った。
『オレは何かをやらなければならないのかも知れない。それをやるまでは死なせてはもらえないのかも。』

勝手な考え方かもしれない。
都合の良い考え方かもしれない。

そして14年が経ち、今も生きている。
その間、結婚もし、子供も生まれ、そして多くの人とのご縁を頂き、多くを学んだ。

決して楽な月日ではなかった。
どうしようもない壁にぶつかったこともあった。

でも、生きている。
14年前の事があってからは、『死への考え方』が変わった。

俺たちは《生きている》のではなく、《生かされている》と考えている。
別に宗教じみた考え方ではない。

単純に、《自分ひとりで生きているのではない。多くの人々に囲まれて、そして生かされている。》
と考えている。

それを考えると、今、世間で頻繁に起きている《硫化水素自殺》なんて事は、絶対に考えられない。
周りや、関係無い人々を巻き込む事に、何の正義も無ければ何の弁護もない。

せめて、このブログを読んでくれている方々にお願いしたい。

死には何の価値もない。人は生きる事で価値が生まれる。
そして、ひとりで生きている訳ではない。
人は皆、周りに生かされているのであり、
そして、誰かの為に生きていると言う事。

何より、《この世に必要の無い人間》なんて1人もいないと言う事を理解して欲しい。