国体と異なり全日本の大会は、的中だけでなく所作から型まで審査されるので皆中(全ての矢を当てる)であっても予選を落ちる事があるシビアな最高峰の闘いになる


また、決勝戦まで闘った射手は心身ともに消耗しており、同点決勝であっても数手で決まるのが当たり前であった


※射詰(先に外した方が負け)か遠近(同じ的を使い中心に近い方が勝ち)八寸的(的を小さくする)などあるが、試合時間管理の制約もあり数手射てば遠近勝負に変わるのが通例であった


しかし、その時の大会は明治神宮からの要請もあり、的の大きさを変えず同点決勝の場合、最後まで射詰勝負と決まってた


そこに予想外の事態が起きる




互いに譲らない、当に白熱の射が続き、かつて起きた事のない勝負に審判員が集り協議を行う事となる


そして、先行後攻を入れ替え、再び勝負が続く…


決勝戦後にも拘らず、二人とも「20射皆中」の成績


この成績も通常ならば、それだけで大会優勝になるのだが…




ついに22射目にお互いが外したが、次の23射目に両者とも持ち直す


そして、24射の激闘2時間20分に、決着が着き、弓道界に1つの伝説が生まれるのだ






これ以降、大会は決着がつくまで射詰勝負が通例と変更される事となる