過去記事 2019年


無量の光 本願の道の章より



当時の庶民は、死後に火葬、土葬されて墓に埋められる者はめったになかった。財産がなければそうゆうことはできないのだ。


十二世紀の「拾遺往生伝」「今昔物語集」などには、庶民がどのように命を終えたかという挿話がいくつも記されている。


左京九条に住んでいたある男が、病が重くなったので、近所の僧を呼んでいった。「私には貯えた財産もなく、親戚もないので、このまま死ねば誰も死骸を葬ってくれないでしょう、

八条川原に荒れ果てて、人も近寄らないところがあります。私は歩けるうちにそこへ行って死のうと思います…

家で死ねば死骸の後始末に困るでしょうから」

男は着物を脱ぎ、妻子に与え、襤褸を身につけて八条川原へ向かう

男はあらかじめ見定めておいた場所に筵を敷いて、浄土のある西のほうを向いて座り、弥陀の名号を称えながら、その命を終えた。


見送りの人はその最期を見届け、泣きながら帰っていった…