もし、私の浄土に生まれる人々が居ないのなら、私は覚って佛になったりはしない…



翻訳は色々あるのだろうが…



 


法蔵菩薩さまは、我々凡愚を救われようと誓われた!


そして、遂に仏覚を得て「阿弥陀如来」とおなりなされた。


誓いを果して如来となると解釈すると→凡愚は阿弥陀如来により救済される


誓いを立てて、如来となると解釈すると→凡愚の救済と本願は≒ではない となる


私は、法蔵菩薩さまの本願が、人類の救済の根源的なヒントになったのではないかと考えている…


ぶっちゃけ云えば、どれほど我々凡愚への慈愛があろうと、深遠な悟りを獲得すれば「」になってしまうって事! (@_@;)