現実が、何となく起きてしまった「事象」であったり、突然起きてしまった「事象」と考える「無責任」

仏教的テクニックを使えば「現実」は「必然的因果」による「結果」である。つまり、現実肯定が可能なら、結果には必ず「原因」があり、その「主原因」や「副原因の幾つか」を断てば、結果は変わる。

いや「主原因」を解決すると「決めた時点」で改革へのスタートは切られているのだ。

下世話な例だと、「我が救世観音」はポッチャリにもカカワラズ「食べてナイよ~」と云う。

私は云う。肥り易い人間はいるけど、食べないで、肥れる人間はいません!と(笑)

解決不可能な事でも、再発防止にはなる。もちろん「分かちゃいるけど、やめられなやい」のが「業」で、環境しだいで、必ず同じ「レール」に乗っかってしまうのだ(T^T)

駄目駄目内閣の「間違いではなかった」発言で、ふと思ってしまったダウン