私のプロフィールはざっくり言うと、社会人10年目の30代で、業界を転々としながらではあるが職種は一貫して営業職を勤めてきた。
一応大卒ではあるが母校は大した大学では無く、実際に試験対策以外の勉強はほとんどしてこなかった。
今現在も本はほとんど読まない。要するに「学が無い」という部類の人間だと自覚している。
そんな私が普段思っていること、思いついたこと、大事にしていきたいことを書き残していきたいと思う。
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第1回目は「バカ」について。
まず、バカは漢字で馬鹿と書き、その語源は秦の時代まで遡る。
でも馬鹿の本来の意味は現在日本で使用されているものとは多少異なるので、本文中は文字を「バカ」で統一する。
さて、本題に戻るが、私は物心ついたころからこんな言葉をよく耳にしてきた。
①「こんなことも知らないの?バカだね」
正直言って、何度言っても分からない人には「バカなんじゃないの?」って思ってしまうことは私にもあるし、化学的にも知能指数の平均値というものが存在する以上、それを下回る人は当然存在するだろうと思う。(それをバカと呼んでいいかは別として)
ただし、
②「こんなこと常識でしょ?」
③「義務教育で習ったよね」
①の次に②や③を続けて他人に発したことがある人は、少し考えて欲しい。
まず、①の「常識」という言葉から。
常識の定義は人によって異なる。何故なら生まれた場所や育った環境も違うし、属していたコミュニティーが違うかもしれないから。それは自分の価値観が他人と100%一致しないのと同じてあり、もしそれが少しでも一致した他人と出会ったのであれば、それは奇跡に近い偶然だと思う。
「1憶人から君を見つけたよ」なんて歌詞もあるが、世界の人口は60億超である。今日駅ですれ違った外国人とはどれくらいの確率ですれ違ったのだろうと思うと感慨深い。
自分が思うその「常識」とは、果たしてどこまで通用する常識なのだろうか。
例えば、アウトドア派のAとインドア派のBがいたとする。
・BはAが「ダウンロードとインストールの違い」を知らなかったことについて、「社会人なのにそんなことも知らないなんてバカだよ。こんなこと常識でしょ」と言った。
・AはBが「犠牲フライ(野球)」のという言葉の知らなかったことについて、「男なのにそんなことも知らないなんてバカだね。こんなこと常識でしょ」と言った。
この場合、AとBどっちがバカなんだろうか。
答えはきっと両方とも「バカ」なのである。
「価値観というのは人それぞれであることから、常識の概念も人によって異なる」ということを理解していないからである。
かつて小泉元総理が「人生いろいろ」と国会で答弁して話題になったが、要約すればまさにそういうことである。
(それを国会答弁で発言することの是非は置いといて)
日本人が外国人に「今の和暦は?」と尋ねたとして、大半の外国人は答えられないだろう。では大半の外国人はバカで常識が無いのか?極端過ぎるが、ロジックとしては同じだと思う。
要するに、他人のことを「バカで常識が無い」と平気で発する人は、「人生いろいろ」ということを「知らない人」なのであり、更にいうと「自分が常識として知っていることを他人が知らない」という事実を「常識がないバカ」と認定することによって、「優越感に浸りたいの人」なのだと思う。これこそがバカではなかろうか。
「知らない=バカ」では無い。知らないことを知らない人こそがバカ、だと思う。
(詳しくはソクラテスの「無知の知」をご参照あれ)
もう一つ、③「義務教育で習ったよね」について。
だいぶ前に、Colorfulという英単語の綴りを書けない人がいた。その人に向かって①と③を合わせて発する人を見かけたことがある。
おいおい待てよ、と思う。
ならあなたは義務教育で習ったことは全て言えるのか?では「室町幕府の13代将軍は誰か?」を質問したくなる。これは歴史マニアじゃないと中々答えられないと思うが、実は義務教育で習っている。
これ、私は覚えている。覚えていない人はみんなバカか?
中学校の同窓会に行ったことがある人なら分かると思うが、みんながみんな100%同じ思い出を共有していることなんてまずあり得ない。相手に言われて思い出すこともあるし、自分が伝えて相手が思い出すこともある。人の記憶も人それぞれで、その人が中学時代をどう過ごしたかや、中学卒業後にどんな人生を歩んできたかによっても忘却の度合いも変わると思う。
実際に最終学歴が中学校の人は、中学生時代のことをすごく覚えているらしい。
さっきの英単語の話でいうと、英語の好き嫌いや得手不得手、若しくは義務教育卒業後もColorfulという英単語を日常的に目にする環境下にいたか否かによってColorfulの綴りが書けるかどうかも変わってくると思う。
故に、「Colorfulの綴りが書けない=バカ」では無い。自分が覚えていることを他人が覚えていないこと(逆も然り)などごく当たり前のことなので、それをバカ呼ばわりする行為こそがバカなのだと思う。
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私は人に散々バカにされてきた。その度にそいつを見返してやろうと思って生きてきた。
でもそうやって人にバカにされてきたから今の自分がある、とは思わない。
何故ならバカにされなくても、今の自分程度の人物にならなれたであろうし、それならバカにされずにいた方が気分的には楽だったと思うから。
「自分が知っていることを他人が知らないこともある」ということと、「自分が覚えていることを他人が忘却していることもある」ということを受け入れる器を持ちづづけれる人間であり続けたいと思う。