JR蒲田駅に午前10時に集合して
六郷神社~六郷橋を渡り川崎宿に入ります・・・万年屋~田中本陣跡を巡り
川崎宿 蒲田駅より京浜国道(旧東海道)を歩く 六郷神社にて祈願?
旧東海道の川崎宿交流館で休憩し~佐藤本陣跡を見た後に食事
麦の郷~市場一里塚~鶴見神社~生麦事件発生場所などを巡り新子安公園を経て
午後16時30分頃に新子安駅に到着し帰宅という予定です
(徒歩距離約11㌔所要時間6時間30分)
では参りましょうか~
京急蒲田駅より第一京浜国道(旧東海道)をひたすら歩く・・・最初の史跡場所は
「六郷神社」です・・・
江戸名所図会に描かれた 源頼朝公の寄進 神紋として巴紋と葵紋を用いる
八幡宮 「手水石}
社殿によると天喜五年(1057年)に源頼家、源(八幡太郎)義家父子がこの地の大杉の梢高く源氏の白旗を掲げて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ軍の士気が大いに高まり、前九年の役で勝利したため凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請し八幡宮を
創建したとされる・・・江戸時代には「六郷八幡宮」と称していた。また1600年、徳川家康との
縁が深いため神紋として八幡宮の巴紋と三つ葉葵紋を用いています。
多摩川を渡ります(六郷橋) 多摩川沿いに梨畑が続いた 万年屋跡にある江戸名所図会
長十郎梨のふるさと(川崎) 「万年屋と奈良茶飯」
茶屋「万年屋」の名物だった奈良茶飯は「東海道膝栗毛」の物語中で弥次さん喜多さんも
食べたなど有名だったそうな・・・やがて宿泊もまかなうようになり幕末にはアメリカ総領事の
ハリスなど宿泊した・・また長州の高杉晋作・久坂玄瑞は、英国領事館の焼討ちを果たす一ヶ月前に外国公使の暗殺をも計画していたとされています。
二人は計画を実行する直前に土佐藩の武智半平太に打ち明けており、その日(同じ日)に
久坂玄瑞が坂本龍馬にも会ったとされている・・その舞台が万年屋だったことが玄瑞の日記に残っている。と言われている
旧東海道の川崎宿に入る 田中本陣と休愚 東海道かわさき宿交流館
「東海道かわさき宿交流館」
川崎宿の歴史・文化を学び後世に伝える地域活動や交流拠点・施設。月曜日休館
川崎宿のジオラマ 川崎宿名物「なら茶飯」土産に購入 宗三寺には貸座敷組合の
遊女の供養碑がある
芭蕉の句碑 八丁畷(なわて)の由来 無縁塚
川崎宿門弟たちとの惜別の句 江戸時代に不幸にして亡くなった
麦の穂を たよりにつかむ 別れかな 人々の霊を供養する慰霊塔
市場の一里塚 説明案内板 一里塚前で少し休憩 鶴見橋手前のビユースポツト
菜の花が沢山あり綺麗でしたね~
鶴見橋を渡る 鶴見橋の界隈は嘗ては 寺尾稲荷道(てらおいなりみち)道標
風光明媚な眺めだった・・・
旧東海道から離れ 昭和の映画撮影スポットを紹介される 嘗ては賑わいを見せていた
上記の壁にグラマンの機銃掃射弾丸跡 生麦魚河岸通り・・・
ガイドさんは歴史作家ですから説明は詳しいですよ
生麦事件発生現場 事件の説明板 イギリス人 リチャードソンの
翌年(1863年)に薩英戦争に至る 落命した場所に事件碑が建つ
この事件は興味がつきませんが・・ガイドさんは馬上のイギリス人(リチャードソン)に対しての初太刀は刀を突いて・・という、またこのリチャードソンかなり悪評高い人であったという
そんな事件の内容を歩きながら質疑応答が続いたのです・・・
国道15号線右奥が子安駅 石碑は西洋野菜の栽培と 最終到着点 京急新子安駅
歩行道路沿いに石碑 トマトケチャップの故郷