中山道を歩く時は、歩く予定地での週間予報を見てから計画を立てます。

今回も気候が雨や曇りが続く日があり、都合の良い日で天候が良い日が信濃路で

一日あり、その日が22日(水)でした。

この日の早朝午前7時31分発の長野行き新幹線新幹線に乗り、接続乗り継ぎの

特急電車「しなの6号」で前回の続き塩尻駅に着いたのは午前9時59分の約2時間30分で

スタート地点の「塩尻駅」から次の(31次)宿場町「洗馬「(せば)宿」へ出立ですあし

 

  

木曾街道六十九次之内    乗り継ぎの長野駅     塩尻駅に午前10時に着く

三十一の宿「洗馬(せば)」

 

  

三大車窓の一つ          平出一里塚   一里塚を過ぎ街道の両側はブドウ棚や園

姨捨の棚田」眼下に広がる (詳しくは割愛します) (写真中央の交差点を左に入り国道

眺望が綺麗でしたね~                             19号に沿って歩く)

                               

新幹線で長野駅から特急しなの6号で塩尻駅に向かう途中で車内のアナウンス音譜が入る

なんでも三大車窓の一つが見られる場所を9時18分頃通過するというので

一度観てみたいものと思い反対側の窓側でしたので・・・

慌てて車輌の入り口窓からカメラを持ちだしシャッターきったのです・・・

長野駅から塩尻方面に走っていく列車の左側の窓側です

この三大車窓の一つは「月の名所と言われる姨捨(おばすて)の棚田と聞きました

 

車内冷房が効いていたのか「塩尻駅」に下車すると・・・温風で日差しが強く晴れ

うわ~おーっ!と思う気分でチョット怯みましたが?

靴ひもをシッカリ締めて中山道の旧街道に向け一歩踏み出しスタートです

 

「桔梗ヶ原」と呼ばれるこの周辺は雨が少なく紫外線が適度に多く「ブドウぶどう」の栽培に

適しているのか?ブドウ園やブドウ棚が多く見られ幾つかのワイナリーも見られますね~

 

  

国道から奥穂高が      国道右から離れ左旧道を   塩尻市案内図

チラット見えて(中央奥)    歩きます          平成の市町村大合併により

                          塩尻市は洗馬・本山・贄川・奈良井まで続く

 

  

       なだらかな坂を下ると大きな肘懸松と刻んだ石碑が見える

 

平出の信号を別れなだらかな坂に細川幽斎が歌われた肘懸松(ひじかけまつ)がある

案内板に「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」と詠われたアカマツの名木

 

  

洗馬のわかされ      あふたの清水の立て札   洗馬宿本陣跡

                    地元の方に昭和七年の大火に見舞われ、宿場の面影は

                    全くなくなってしまったとのことでした・・・ガーン

「中山道と善光寺のわかされ

左側の道をおよそ50㍍行くと石造の「常夜灯」のある枡形に至る

ここが中山道と善光寺のわかされであった。

道標は昭和7年(1932)4月6日の「洗馬の大火」以後右側の新道が開通したおりに

枡形からここに移されたものである(洗馬区)

 

洗馬宿は、木曽義仲が愛馬を洗ったことに由来してこの名があり

義仲の家臣、今井兼平と会った場所とされる「あふたの清水」は時代を超えて

コンコンと湧き出ている・・立て看板表示の右側奥を下る

 

  

   高札場跡      上り坂にある「牧野一里塚」  本山宿下町の石像群

後に御判形(おはんぎょう)と呼ばれ

伝馬駄賃御定や幕府でのお触れなど掲げられていた

 

  

本山のそば名物と誰も知る荷物をここにおろし大根」 木曾街道六十九次之内 

大田南畝(享和二年 1802年)              三十二の宿「本山(もとやま)」

拙者もそば切りの本場の蕎麦を「本山そばの里」で食する

コシもあり香りも良い素朴な味ですね

注文は「宿場御膳」 そばの団子の汁物とそば餅とそばの実

お会計は1,130円(内税)でしたニコニコ

 

  

本山宿の案内板     有形文化財の若松屋・川口屋・池田屋と軒を並べる

               (往時の華やかな賑わいがしのばれますね~)

 

  

小林本陣の跡       本山宿の家並み     国道に沿ってひたすら歩く

                       国道に温度計があり31度と表示されていたアセアセ

 

  

この国道沿いを南に歩く  これより南木曽路の石碑  贄川宿までの歩行あし経路

 

これより南木曽路・・・この地は木曽路の北の入り口であり江戸時代には尾張藩の

北境であった・・・そういえば島崎藤村の代表作「夜明け前」は

「木曽路は山の中である」と書き始めた・・・そう山の中ですね~ニコニコ

   

 

  

桜沢茶屋本陣跡左側に    画像奥が贄川宿   中山道独り占めの街道歩きです音譜音譜

明治天皇桜沢御膳水みずがめ座碑がある         (行き交う人は誰一人いませんね~ニコニコ

 

  

贄川駅が左側に見える   関所橋の金属パイプ   木曾節の歌詞

関所橋の金属パイプを連続して叩くと「木曾節」のメロディ~が流れる音譜音譜

 

  

尾張藩の北番所と呼ばれている  大名行列の絵     通行手形を貰い

    贄川関所                 皇女和宮おとめ座御下向行列のパンフに貼ってみた

 

源義仲七代の孫、讃岐守家村 建武二年(1334年)頃、贄川に関所を設け四男家光に

守らしむ贄川関所は木曽谷の北関門として軍事的にも重要な役割を果たしています。

 

  

木曾街道六十九次之内   江戸末期の贄川宿    贄川宿の案内と地図

三十三の宿「贄川(にえかわ)」

 

  

贄川宿場町から~奈良井宿に走る街道 旧中山道   観音寺の山門

 

贄川宿を通り、中山道旧街道メイン通りの人気のある

木曽路次の三十四次は国の(少し長い言い方ですがニコニコ

重要伝統的建造物群保存地区「奈良井宿」に向かいます・・・あし

 

今回の歩行距離は 塩尻~6.7㌔洗馬~3.4㌔本山~7.5㌔贄川

合計17・6㌔で滞在時間は約7時間でした・・・

旧中山道を日本橋から歩いてきましたが、今回の塩尻駅~贄川駅までの歩行が

一番、暑く、腕や顔に日焼けが出来ましたね~うーん

関所受付の女性の方から「こんな八月の暑い日に歩く方はいませんよ~」ですって・・