下諏訪宿に入る前に男達が乗って急坂を下る御柱祭は勇壮で日本三大奇祭と言われて
いる諏訪大社を訪ねてみました・・・諏訪大社というのは一つの杜ではなく諏訪地方に
四つある杜の総称です・・諏訪湖を挟んで北側の下諏訪町の春宮と秋宮からなる下社の
春宮(はるみや)を先に訪ねたのです
(丁度、和田峠から下ってくると下諏訪宿に入る手前にあるからです)
諏訪大社下社春宮 「御柱(おんばしら)」 諏訪大社下社春宮 説明板
彫刻が綺麗で素晴らしい!(14:15)
春宮を礼拝し、七年に一度の天下の大祭御柱を拝観して下って下諏訪宿に入る。
下社春宮を礼拝する 天下の奇祭「御柱」の人形 御柱の説明板
来た道を撮影、(中山道を下る) 滝の口 中山道の右端下にある「一里塚」
右側に武田信玄が保護したお寺 (江戸時代中期の作品)
慈雲寺を観てゆっくり下る
下諏訪宿は日本橋から55里6町(約216㌔)の二十九番目の宿で
本陣1、脇本陣1、旅籠は40軒です
中山道で唯一の温泉地で諏訪大社の総本社が鎮座する門前町で
風光明媚な諏訪湖もあり
また甲州街道の終点であり交通の要地で前後に難所の和田峠と塩尻峠をひかえ
非常に栄えた宿場町であったという
湯田坂の温泉街を通り出桁造りの格子も多く宿場町の特徴を残していて
桔梗屋・みなとや・まるや等の旅館が並びかつての旅籠の往時を偲ぶことが出来ます
なまこ壁の土蔵と石畳が今も残る 伏見屋邸
江戸時代当時の建築様式や生活用品の展示を
無料公開しています(ここで痛めた足を一休み)
美味しい御漬物をいただく 欄間が有名と案内 明治22年頃の下諏訪宿古写真
窓口の方から御漬物をいただき邸内(伏見屋邸)の説明をしていただきました(感謝)
二階には明治中期頃の古写真が展示され撮影許可もいただき
「ありがとうございました。」(15:00)
鉄鉱泉本館 今井邦子文学館 旦過の湯(熱い湯で有名)
▲湯田坂 急な下り坂の奥に温泉街
防衛手段として敵が一気に攻め込み難くするための名残という
旅籠の風情を残す個人宅も健在な下諏訪宿 国道をまたがり更に奥へ入る
本陣表門 岩波家 江戸時代の大名・公家などの宿となった家
(文久元年十一月に御降嫁の和宮様のお泊り所や明治十三年六月二十四日
明治天皇の御巡幸の時のお小休所となった場所でもあります)
宿場を統括する機能もあって武家茶屋の遺構や庭園など今も岩波家が引き継いでいます。
甲州道中・中山道合流の地 下諏訪宿案内看板 中山道は御宿まるやの奥へと進む
諏訪大社下社秋宮(あきみや) 御神体は二月一日に春宮へ 大社通り八幡坂
八月一日にここに遷宮する。太いしめ縄が有名だという (正面先に左が下諏訪駅)
(16:00)
魁塚の説明板 史跡 魁塚(さきがけづか) すっかり夕暮れになつた
維新の魁となった赤報隊隊長・相楽総三を祀る(16:15) JR下諏訪駅(16:30)
「相楽塚(さがらづか)」とも言われる
時間を許す限り史跡まわりと思い
最後の「魁塚」はJRの諏訪駅を通過して戻つてきました・・・
今回の和田峠を越え長い距離の国道沿い下り坂で右太腿が痛くなりましたね
五里十八町(21.2㌔)踏破
帰宅してズボンを抜いたら太腿に薄紫の大きな斑点模様のアザが出来ていました
血管が鬱血しているのでしょうか?二度目ですね(前回は碓氷峠)
今後も気をつけ次回の三十の宿、塩尻(しおじり)を巡ります