前回の続きです・・・

  

木曾街道六十九次之内 長久保             竪町のメイン通り

 

芦田宿から長久保宿の道のり1里16町(5.7㌔)あし

創建が不明な点が多い松尾神社の先が長久保宿です。

江戸より二十七次目の長久保宿は西に和田峠、東に笠取峠、北に北国街道、南に大門峠

を控えていたことから最盛期には43軒近くの旅籠があり、大変賑わった宿場であるにつれ

南北方向に「横町(よこまち)」を形成していったため、L字型の

横町(よこまち)と竪町(たてまち)が直角に交わる変わった街並みの宿場です。

(本陣1・脇本陣1・旅籠43軒)

  

吾一庵       吾一庵を下ると案内標識(左) 一福処(いっぷくどころ)濱屋(はまや)   

                                 (長久保宿歴史資料館

 

長久保宿は、慶長七年(1602)の中山道制定に伴い、真田家の配下で宿場成立後に

本陣・問屋を務めた石合氏、問屋を務めた小林氏が中核となり、当初は現在の移置より

西下の依田川沿いに設けられました。

しかし、寛永八年(1631)の大洪水にによって流失したため、段丘上のこの地に移り

本陣・問屋中心に東西方向に「竪町」を形し、後に宿場が賑わうにつれ南北方向に「横町」

を形成していきL字型の街並みになりました。(長久保歴史資料館)

        

真田幸村公長女すへ殿ゆかりの地    長久保の町割りと本陣部屋割り図

 

    

濱屋内部(いろりと板の間)    江戸末期の表門長久保宿 旧本陣・石合家

 

  

竹内家住宅(釜鳴屋)   竹内家住宅の説明看板    旅館 濱田屋

                                  (現在でも営業している旅館)

 

竪町の旧本陣(石合家)、竹内家(釜鳴屋)を通り、東から西へ直進ちょうどL字型の

屈折地点に旅館 濱田屋がある、この通りを南に直進が横町通りになる

一緒に同行歩きの同輩Oさん・・どうもお腹が空いたらしくランチ食事処探しとなった

いつものことなのですが・・・中山道沿いの旧街道では食事割り箸のとれる店が少ないのです

濱田屋さんの反対側にバスターミナル案内所で食事のとれる店を聞く・・・

受付の年配者のお話では、

「この先の旧道(中山道横町通り)を直進し車で10分位かな~」

国道142号線のドライブインにお蕎麦屋さんと食堂があるというので二人で先を急ぐ・・・

 

  

武重家(辰野屋)       国道と合流し雨の中・・・傘雨をさして、とぼとぼと歩くあし

 

   

ドライブイン「中山道」   ランチは温かい「鍋焼きうどん」  食事処割り箸 ながと

(長和町・長久保)

国道に出てしばらく歩くとドライブイン「中山道」見えた、塩焼き・岩魚の看板

この店は、信州味噌のほうとう鍋鍋が人気という・・・入口のドアに「本日定休日の文字」

残念です・・・国道の反対側にある食事処「ながと」へ駆け込んだ

雨が降り続き、長いこと傘を差し歩いてスッカリ冷えた体に店の温かい

特製「鍋焼きうどん鍋」が沁みて美味しかったニコニコ

同輩のOさんよっぽどお腹が空いたのか?大変喜んでいました

さあ~落合橋まで国道が続きます・・・Oさん車に気をつけ頑張りましょう!あし

 

  

美ヶ原東餅屋雪のため通行止め  落合橋を渡る   水明の里の石碑

 

  

和田宿へ歩く☝        シャレたバス停   バス停の左側に馬頭観音が・・・

 

  

ミミズの碑           三千僧接待の碑      上組一里塚跡

 

大和橋の交差点(国道152号と国道142号線合流地点)の一つ先落合橋から

旧中山道に入り国道を渡ってから再度、水明の里の碑から旧中山道になる・・・

此処からが国道と平行に街道が走っているが・・・蚯蚓神社(みみずじんじゃ)~

三千僧接待碑~若宮八幡宮~上組一里塚~「是より和田宿」の碑まで

なんと長く感じたことでしょうか?「和田宿はまだか?まだか?むっ」と思いながら

歩きました・・・きっと傘を片手に持ちながら雨風を凌いで歩いて疲れが出たのでしょうね~

やっと和田宿に入りました汗~次回は和田宿と民宿に初NEWお泊まりです

長久保宿から和田宿まで7.8㌔でした

この日は芦田宿10:00~(5.7㌔)長久保宿12:30~(7.8㌔)和田宿着15:15

歩行距離あし13.5㌔参考所要時間時計(約5時間15分)

 

  

是より和田宿」の標識   小学生が帰宅で乗る   本殿が江戸中期作といわれる

              長久保行(長和町巡回バスバス)     八幡神社