「会津まつり」や熊谷市の「妻沼聖天山秋季大祭」の奉納演武などイベントがあり

「中山道信濃路を歩く」の投稿が遅くなり申し訳ありませんでしたしょぼん・・・ひらにお許しを・・・

  

木曽街道六十九次之内 八幡   佐久平駅バス停   御馬寄の大日如来像

                                      (遠景は浅間山) 

前回は千曲川の渡しで栄えた「塩名田(しおなだ)」宿で引き返し帰途に着きましたので

今回は千曲川先の「八幡宿」へ・・・拙宅をいつもの早朝、時間通り出て新幹線で「佐久平駅」下車駅の千曲川バス停で待っていると高齢者の夫婦と一緒に乗ることになった

金沢の白山近くに住み「旧東海道」や「旧中山道」の街道を夫婦ラブラブで歩き廻っているらしい・・・

いろいろお話を乗車中にもしてくださり話が盛り上がってクラッカー・・

ついひらめき電球目的地下車「御馬寄(みまよせ)」を通り過ぎてしまった。一つ先の「下原中央」で降り・・歩き戻って、浅間山や蓼科の山並みが映える水田の中に佇む「大日如来像」を観る・・・

いいね~ニコニコ(ビューポイント)

 

  

見晴らしが良いが雲が・・・ まもなく八幡宿に入る下り坂  立派な八幡宮髄神門  

遠景は浅間山                          (はちまんぐうずいじんもん

 

江戸日本橋から数えて二十四番目の宿 八幡(やわた) は

千曲川沿いのコメの集散地として江戸初期の慶長年間に八幡村・蓬田村・桑山村の三つの

村を整備した宿場で川止めとなった待機地でもある・・・八幡宿の入り口には宿名の由来に

なった八幡神社があります(本陣1軒・脇本陣4軒・旅籠3軒)

残念ながら昔の面影や雰囲気は失われていますね~(宿場の長さは約800mくらいです)

 

 

皇女和宮が宿泊した八幡宿本陣跡        貴重な遺産である祝言道祖神(百沢)

   

祝言道祖神の説明板   国道から右、中山道の標識  草の生い茂った山道

(百沢という集落から中山道の標識の右に書かれた山道を行きますが・・・

山道は荒れ放題で道がわかりずらいので注意ですねむっ・・・坂下にトンネルがあるひらめき電球

 

  

山道から国道を渡り案内がある 日本一の道祖神  瓜生坂(うりうざか)の一里塚跡

 

  

望月の宿場が一望できる峠  五郎兵衛用水取水口のある鹿曲川(かくまがわ)を渡る・・・

 

五郎兵衛用水(ごろべいようすい)

三百七十年前の江戸の初期に市川五郎兵衛真親(いちかわごろべえさねちか)が私財を

投じて築いた用水(現在の浅科村)です・・・

その用水を引き開墾して作ったお米が魚沼産コシヒカリを凌ぐとも言われ滅多に市場に

流通しない幻の五郎兵衛米(信州のコシヒカリ)という

 

  

               望月歴史資料館(旧本陣跡大森家)  隣の小児科医院も本陣敷地内であった

 

  

木曾街道六十九次之内「望月」    水割り馬石(みずわりばいし)と木樋(きどい)

 

機織り

望月町では大正時代頃まで女の人の冬の仕事として機織(はたおり)りが行われていた

町の糸屋から紺色に染めて木綿糸(もめんいと)を買ってきて着物や布団地を織ったという

機織りは女の人の一人前の条件でもあったらしい・・・

駒つなぎ石

江戸時代末に望月宿は道幅が五間でその中央を川の流れあり、旅人や荷継ぎの馬などに

利用されていた・・・この石は馬や牛など止めるために利用したもので馬には動かせないが

人が持てる重さになっている

   

機織り(はたおり)      天狗党行軍経路略図       駒つなぎ石

 

天狗党と米百俵

天狗党の望月宿泊泊り人数は1290人、馬160疋、20日には和田峠を越え、

峠を下った樋橋(とよはし)で松本藩の連合軍と戦いドンッ打ち破り夜中に下諏訪着、泊

 

望月宿脇本陣、鷹野家は問屋を兼ねており11月18日に天狗党が宿泊した際の

詳しい記録が残されていて「御籾百俵」は天狗党通過によって大きな損害があったので

米百俵貸していただけないかと小諸藩に出した文書である

天狗党が泊まった時の大変さを伝えるために何が起こったのか具体的に記している

(望月歴史資料館に展示されています)

 

望月の駒(もちづきのこま)」

昔、信州佐久の望月城に他に比べようもない美しい姫君が生まれ

同じ日にこちらも他に比べようもない美しい月毛の馬が生まれた。

姫を「生駒姫おとめ座(いこまひめ)」と名づけ、その名馬は姫が乗る馬と定められていた

姫が13歳になった時、その美しを聞いた京の帝から自分のもとに来るように何度も

知らせが届き、その話を聞くと月毛の馬は餌を食べなくなり・・なんと月毛の駒は

姫に恋ラブしていたのです・・(詳しくは割愛します)

そんなお話の民話物語の説明書をいただきました

月毛の駒が死んだところには皆、心から気の毒がって

馬頭観世音馬のお堂が建てられてたということです。

と記されていますが・・・読んだ後、行ってみたいと思いましたね~

(望月宿大森家本陣に伝わる「望月古実録」にのってる民話「望月昔物語」)参照

 

旧中山道沿いはなかなか食事がとれる店がなく・・探しましたが一軒

駒月みそかつ丼の旗が見えたので・・・慌ててランチ割り箸をとることにしました・・・ニコニコ

  

  ランチは「みそかつ丼」を食する    (重要文化財)旅館大和屋「眞山家(さなやまけ)」

 望月の名物 (独特の味噌ダレ?)   天明五年(1785)の建築で二階の連子格子がイイね!

 

  

大伴(おおとも)神社を過ぎると望月宿も終わり・・・

国道142号線の小さなトンネルを過ぎると美しい目田園風景が広がる・・・

石仏を観ながら「間(あい)の宿」と呼ばれる茂田井村の入り口はまもなくですあし・・・

では次の「間の宿」でお待ちしていますパー・・・「ご覧いただきありがとうございましたニコニコ