近藤勇・土方歳三の写真   会津新選組記念館   斎藤一(藤田五郎)の写真

 

会津まつりの三日目には第14回「会津新選組まつり」です

阿弥陀寺で開催された①会津歴史朗読会②土方歳三ご子孫、土方愛氏おとめ座を講師に招き

「土方歳三と会津戦争」の歴史講演会③斎藤一忌(無外流居合奉納演武)で見終わった後、

どうも消化不良なのか?これで会津新選組まつりが終わり?なのか?・・・

阿弥陀寺から七日町通り新選組記念館へ足を運んでいましたあし(阿弥陀寺から三分位)

(この通りを新選組通りとして各新選組のパフォーマンスクラッカーや行列ができないものかな~ぁひらめき電球

なんて思いながら・・・)

新選組記念館(骨董 むかしや)の誠の文字暖簾をかき分け入ると・・・

そこは新選組グッズや骨董品、二階は会津藩や新選組史料が並んでいる

 

入館料大人(高校以上)300円(五人以上200円) 子供(小・中学生)200円(五人以上150円)

不定休になっているので事前に電話連絡をしてから伺ったほうが良いですね~

●電話0242-22-3049  ●住所 会津若松市七日町6-7

  

藤田まことの色紙~       斎藤一の写真   記念土産に買った新選組羽織セット

薄桜鬼のイラスト・斎藤一もある

 

新選組記念館を観終えると次は、戊辰戦争で城下最大の激戦地ドンッでの一つ

長命寺の攻防戦の古戦場となった長命寺に伺います

 

長命寺(ちょうめいじ)  〒965-0861会津若松市日新町5-51 電話0242-27-7003

新選組記念館~歩いて徒歩10分くらいでしょうか?西連寺のお寺の先

サンシティ日新町マンションの前になります

 

慶応四年(1868)8月29日

鬼の官兵衛こと家老「佐川官兵衛」率いる藩士は郊外に出て白兵戦ドンッに及び

西軍が立てこもる長命寺が主戦場刀剣になり、一時は奪回したものの束の間、

西軍の増兵により再び長命寺は奪われてしまったしょぼん・・・

      

長命寺の築地塀         長命寺本堂       長命寺戊辰戦懐古の碑            

(当時の鉄砲弾が無数に残る)

長命寺に見られる許された築地塀「五條の白線」は、最高の寺格を示し

「練り壁」の工法がとられ、この工法は江戸時代に広く普及されている

 

  

会津藩最強の剣客「黒河内田伝五郎の墓」           戦死墓

墓碑には中央に伝五郎の法名、左右に長男と、次男の法名が刻まれています

(墓の傍には上記左側画像のような説明板が建てられ詳しく説明されています)

左隣の墓碑は母か夫人のものと思われます。

 

会津藩最強の剣客 黒河伝内五郎(くろこうちでんごろう)

黒河内伝五郎義信(兼規)かねのり は享和三年(1803)藩医、羽生義英の二男として誕生

文政五年(1822)居合術の師である黒河内治助兼博(じすけかねひろ)の養子になった後、

新夢想無楽流居合術(しんむそうむらくりゅういあいじゅつ)をもって武芸指南役になりました。

他に棒手裏剣術をはじめ武芸百般に秀で、稲上心妙流柔術・静流と穴沢流の薙刀術・鎖鎌術・吹矢術・針吹術・馬術・弓術・特に槍術に優れていた

会津剣道史による居合術に於いては「自らの箸を空中に投げて・・その落ちる前に刀を抜いて

裁つことは自在であったという・・」晩年は失明したが座頭市を彷彿させるように武芸の業は

衰えることが無かったという・・・

戊辰戦争の時は眼病のため盲目になっていました・・そのため新政府軍が若松市内に侵攻してくると、藩の足手まといになることを厭い、負傷し自害した次男の介錯をすると

自分の首は井戸に投げよ」と妻に命じ自刃した。享年66歳でした。

 

これほどの剣客達人が会津藩にいるとは存じ上げませんでしたので、

暫く墓前に佇み居ましたね(合掌)

 

また、慶応四年/明治元年(1868)の戊辰戦争で亡くなった会津藩士の墓「戦死墓」です

城下町が焼けメラメラ野原にとなり降伏開城後、会津戦死者の遺体は埋葬地が決まらず翌春まで

放置されたままでした。このため戦後残務のために町野主水等、」数十名の旧会津藩士は

しきりに埋葬地の設定を民生局に嘆願していました。再三にわたり嘆願を重ねた結果、

阿弥陀寺、長命寺に限り埋葬許可が出ましたが埋葬の際「殉難之碑」と木製の墓標に刻みましたが民生局の許可が得られず「戦死墓」として許可されました。

阿弥陀寺に1,281体/長命寺に145体が葬られました。

そして明治6年ようやく墓碑が建てられた。

(埋葬に尽力、奔走走る人したのは伴百悦(ばんひゃくえつ)をはじめ

旧会津藩士数人であったという)・・・

 

(参考文献 転載 一般財団法人 会津若松観光ビューロー 観光物産事業部)

 

    

歴史は勝者によって語られる・・・「敗者の正義は無いのでしょうか?」

来年は戊辰戦争から150年、明治維新とは何でしょうか?「維新再考」

 

   

帰りは派手な会津手塚治虫キャラクタースタンプラリー号バスで・・・

上り線羽生PAのご存じ「鬼平江戸処」で休憩15分お茶です・・・

 

お土産▼

       

会津まつりのお土産は・・・会津藩の気風忘れずニコニコ下記のものです・・・     

●新選組の「斎藤一」羽織セット ●あかべえ(マスコットキャラ)

●(食は饅頭)画像(左)柏屋 薄皮饅頭(右)会津名物「あわまんじゅう」

●論語のこよみ ●会津藩 家訓(かきん)●会津藩 幼年者「什の掟」の手拭い

 

「会津まつり」最後までご覧になりありがとうございました!

拙いブログですが今後とも宜しくお願い申し上げます。ニコニコ