恐縮ではありますが、数年前の11月中旬の或る日の江戸探訪で

(写真画像は度々訪れていますので時期が異なる場合があります・・宜しくお願いいたします)

東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅から数分歩きあし吉原に行く途中に寄り道・・

投げ込み寺と言われている「淨閑寺」を訪ねる

何故か?永井荷風?ではないが言葉に表せないが妙に気になりひらめき電球惹きつけられる・・・


淨閑寺の正面入り口山門の左隅にお地蔵さんがいます・・・

これが小夜衣(さよぎぬ)地蔵・・なんでも遊女小夜衣は主人に放火メラメラの罪をきせられ火炙りの刑に

なったと言われています・・・(詳しくは割愛します)


案内板にはお寺の説明が記されて史蹟の案内板には新吉原総霊塔をはじめ主だった

塚、碑、墓などが書かれています



投げ込み寺を訪ねる          投げ込み寺を訪ねる  
  駅前交差点 正面右が三ノ輪駅          三ノ輪駅傍の歩道橋より正面が日本橋・浅草方面         


投げ込み寺を訪ねる          投げ込み寺を訪ねる

正面山門の左片隅に見える「小夜衣供養地蔵尊」      山門を抜けると本堂が見え左に小さい門

(元々は境内にあったという)                                    から入る



淨閑寺(じょうかんじ)は浄土宗の寺院で栄法山清光院と号する

安政二年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が投げ込み同然に葬られたことから

「投込寺(なげこみでら)」と呼ばれるようになった

花又花酔の川柳に「生まれては苦界、死しては淨閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された

壇徒の他に、遊女やその子供の名前を記した寛保三年(1743)から大正十五年(1926)にいたる

十冊の過去帳が現存する

遊女の暗く悲しい生涯に思いを馳せて作家、永井荷風はしばしば当寺を訪れている


「今の世の若き人々・・」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである



                                   荒川区教育委員会



本堂を正面に見て左側の小さな門を潜り墓所を一巡し見渡すと・・先ほど入口に入った右片隅に

誰の供養によりものか綺麗な花ブーケ1が手向かわれていた・・良く見ると「若紫之墓」とある・・

背面を覗目くと・・・やっとの思いで何とか読める・・・(間違っていたらお許しください・・)

この狭い裏に廻ってやっとのことで撮り、書き写した格好は見せられるものではありませんが

誰もいない気配で一安心でしたあせる・・ 


若紫塚記

女子姓は勝田 名はのぶ子 浪華の人 若紫は遊君の号なり

明治三十一年始めて新吉原角海老楼に身を沈む

楼内一の遊妓にて其心も人も優にやさしく全盛双びなかりしが、不幸にして今とし八月廿四日

思わぬ狂客の刃に罹り、廿二歳を一期として非業の死を遂げたるは、哀れにも亦悼ましし

そが亡骸を此地に埋む 法名紫雲清蓮信女といふ

茲に有志をしてせめては幽魂を慰めばやと石に刻み若紫塚と名を永く後世を吊ふことゝ為しぬ 噫

明治三六年十月十一日   

         七七正当之日


角海老楼一の美しく優しい人気花魁だつたのでしょう・・・身請け話もあったのを断り続け

恋人と年季明けを楽しみに普通の夫婦を夢見ていて周りからも祝福されていたと思われます


数日後の年季明けには恋人と一緒になる約束間際に凶事に倒れた・・・

なんという悲しくも哀れな最後です・・(永井荷風 断腸亭日乗を参考にしました・・)

今なお墓前に訪れ花を手向ける人がいて知られているのでしょう・・・嬉しくなりますね



投げ込み寺を訪ねる               投げ込み寺を訪ねる  


吉原角海老遊女の  若紫之墓 (享年22歳)                 新比翼塚

                               品川楼で内務省小吏谷豊栄と心中情死した遊女

                               盛紫(心中事件) 二人を祀った比翼塚


                          
投げ込み寺を訪ねる            投げ込み寺を訪ねる

  新吉原総供養塔                                新吉原総供養塔

                                 「 生れては苦界・・」の文字が書かれております


遊女たちの亡骸は人目につかない時刻にひっそりと運び出されて

投げ込まれたのです・・・売春防止法の昭和三十三年迄吉原の灯が消えるまでの

江戸期より三百数十年間にはどのくらいの亡骸が運ばれたのでしょうか?

遊女、遊女の子、遣りて婆、遊郭関係の者や関東大震災や東京大空襲で死んだ遊女も

祀られています

二万数千とも言われていますが?・・・

「生まれては苦界 死しては淨閑寺」・・往時を偲ぶことはできませんが・・(合掌)



投げ込み寺を訪ねる           投げ込み寺を訪ねる

             史蹟案内板                  永井荷風の文学碑と墓




投げ込み寺を訪ねる          投げ込み寺を訪ねる

    本庄兄弟洗井戸並首塚                          ひまわり地蔵尊


親の仇である白井権八に返り討ちにあった本庄兄弟     ひまわりの花は太陽の下で一生を働き                         

の弟、助八も兄助七の首を洗うところを無残にも        ぬいてきた日雇い労働者のシンボル
権八のために討ち果たされた                                         

二人の霊を慰めんと首塚が立てられている            (発願主 山谷老友会)

                                       昭和五十七年十二月 建立開眼


投げ込み寺を訪ねる          投げ込み寺を訪ねる


    

   樋口一葉記念館外観                         一葉記念館の案内板


所在地〒110-0012 台東区竜泉3丁目18番4号

入館料 一般300円  小中学生 100円  会館時間 午前9時~午後4時30分

(入館は午後4時まで)

休館日 月曜日(祝日と重なる場合は翌日です)

アクセス 地下鉄地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅徒歩10分 

      都バスバス(都08)日暮里駅・錦糸町駅「竜泉」下車 徒歩2分です


一葉フアンの方はぜひお立ち寄りご覧ください・・・グッド!


      

淨閑寺を訪れた後は千束町に向かい二度目の樋口一葉記念館にも・・と思い巡らしたが

今回はスルーし日本堤の土手通りを歩き・・いよいよ不夜城の吉原おとめ座遊郭に参ります・・あし