先日は南千住駅で下車し「南千住」を巡ってきましたが・・・今回は次の駅の「北千住駅地下鉄」で下車し

旧日光街道の千住一丁目~五丁目までの宿場巡りです

北千住駅から近いある女子高校と大学に市中廻り(所用)があり・・・そこでの女子職員から

坂本龍馬の婚約者・北辰一刀流の千葉道場の小町「千葉佐奈おとめ座」さんの住んだところがあると言われ

迂回しての北千住宿場巡りとなりました・・・


北千住宿          千住宿
坂本龍馬の婚約者ラブラブ千葉の小町と言われた     「やっちゃい!やっちゃい!叫び」とセリの掛け声

千葉佐奈(さな)」さんが住んだと思われる       賑わいあったやっちゃ場(昭和初期の様子)
宮元町交差点近辺信号機右上方面が日光街道(国道)



今回は廻れませんでしたが・・NG野菜を扱う青物問屋が千住河原町一帯に「やっちゃ場」と言われ・・・やっちゃ場通りにプチテラスが

あり旧問屋の屋号等、往時の様子を伝えています・・・

(千住のやっちゃ場は神田・駒込と並んで三大市場に数えられています)


迂回し寄り道をしましたが芸術センター沿いを通り旧日光街道に戻り宿場町

(商店街千住一丁目~)通りに入っていきますあし



千住宿          千住宿
千住一丁目の商店街入り口手前交差点にある         千住案内図 (安藤義雄氏制作)

千住高札場跡碑」                         


千住宿          千住宿
千住一丁目商店街入り口(交差点)              千住一丁目商店街入り口直ぐ左側にある

入口右側後方が馬寄場(うまよせば)                「千住宿問屋場・貫目改所跡碑



千住宿          千住宿   
    千住宿問屋場(といやば)・貫目改所(かんめあらためしょ)跡がある公園


千住宿          千住宿

千住で始まった文筆活動メモ・・・森鷗外旧居           金蔵寺(こんぞうじ) 正門

   森鴎外旧居橘井堂(きつせいどう)跡           


千住宿          千住宿
天保の飢餓による餓死者の無縁塔と             供養塔に遊女の戒名が刻まれていて
遊女の供養塔 (金蔵寺)                    大黒屋・中田屋の名が見える(金蔵寺)


金蔵寺(こんぞうじ)


当寺は真言宗豊山派で、永川山地蔵院「閻魔院(または閻魔院ともいう)と号す

本尊は閻魔大王で、建武二年(1335)三月の創建という・・・

金蔵寺のもんを入ると左側に、二メートルほどの無縁塔があります・・これは天保八年(1837)に

起こった大飢饉の餓死者の供養塔で、千住二丁目の名主永野長右衛門が世話人となり、天保九年

(1837)に建てたものである・・・碑文によれば

「・・・飢えて下民に食なし・・・この地に死せる者、八百二十八人・・・三百七十人を金蔵寺に葬り・・・」

とある  その塔と並んで建つ別の供養塔は、千住宿の遊女の供養塔で、この地で死んだ遊女の

戒名が石に刻まれている・・・

千住宿には、本陣・脇本陣のほかに五十五軒の旅籠屋があり、そのうち食売旅籠(遊女屋)が

三十六軒あった  江戸後期には宿場以外に江戸近郊の遊里として発達した

そのかげで病死した遊女は無縁仏同様に葬られた・・その霊を慰めるための供養塔である



千住宿          千住宿        

赤門寺(あかもんでら)と言われた勝専寺(しょうせんじ)    北斎 富嶽三十六景 

本堂に安置されている「千手(せんじゅ)観音像」が            従千住花街眺望ノ不二

センジュ(千住)の地名になったという



千住宿          千住宿

千住三丁目に入る商店街宿場町通り   三丁目の入り口左にある「千住本陣(ほんじん)跡」碑

                            本陣の敷地は三百六十一坪で建物は百二十坪という
                                      


千住宿          千住宿
三丁目の商店街の本陣跡碑の左奥路地は                 左と反対側の右側路地
千住見番(けんばん)跡・・・江戸時代から千住宿に遊女        遊女の旅籠があったといわれる

(食売女)を置いた旅籠が五十軒ほど・・明治にこれが禁止になり               

千住芸妓組合が成立しこの通りを「見番(けんばん)横丁」という



千住宿           千住宿

千住宿を通った大名がメイン通りの柱に飾られています    千住宿を利用した最大の大名行列

    (上杉家米沢15万石)                     仙台藩(伊達家62万石)


千住宿           千住宿  江戸時代後期の千住宿街並の一部(ジオラマ)    中央には馬馬小屋が見られます(ジオラマ)


千住宿          千住宿         

横山家住宅(よこやまけじゅうたく)(個人宅)        


宿場の名残として伝馬(でんま)屋敷の面影を今に伝える商家である

お客様をお迎えする心付けの現れという間口が広く、戸口は一段下げて造るのが特徴

上野戦争で敗走する彰義隊が斬りつけた玄関に傷痕があるという


大きくてドッシリした桟互葺(さんかわらふき)の二階建てで、大きな格子窓などに一種独特の

風格を感じますね



千住宿          千住宿
   際物問屋(きわものとんや) 千住絵馬屋(えまや)馬・吉田家(よしだけ) (個人宅)



千住宿          千住宿
                                       

江戸時代以来「ほねつぎ名倉」を開業したと言われる  歩いてきた宿場(中央奥)を振り返り撮影カメラ

    千住名倉(なぐら)医院                   名倉医院手前にある交差点

                                      分岐道標は道路左隅に見えます

付近にある三味線教室から三味線の音色音譜が流れ

風情たっぷりでした                               


千住宿          千住宿


分岐点にある道標 「北へ旧日光道中」「東へ旧水戸佐倉道」



千住宿          千住宿

  虹の広場から荒川遠景を観る目                   お休み処 「千住街の駅
                                         


帰りに疲れた足をお休み処三丁目のメイン通り沿いにある「千住街の駅」で一休みです

行きにパンフレットや資料を頂き帰りは一休お茶みです

ここでも千葉道場の「千葉佐奈」さんのお話が出て・・・お姉さん方と話がはずみました音譜・・・


千住普及会のお姉さんから・・なんと「千葉佐奈」さんを描いて印刷された一枚をで差し上げる・・

と言われ大変喜びましたニコニコ・・・美人に描かれた「千葉佐奈」さんの絵を大事に持って帰ったのです


北千住の宿場巡りは地元人気あるラブラブ「千葉佐奈」さんで始まり「千葉佐奈」さんで終わりました???


何でも千住名物「佐奈カステラ」があるって学校の職員の方から聞いたけど・・・知ってる?



下記、文献を参考にさせていただきました


東京都足立区教育委員会・千住散策マップ

荒川区産業経済部観光振興課・足立区産業経済部観光交流課