柳橋を歩く
夕闇頃星空に「ちょいと・・・そこの旦那~?・・」と艶声で

夜鷹?が出てきそうな気配の柳橋

よく江戸期の時代小説に使われたかも?

柳橋は深川からの岡場所(非公認花街・遊郭)から

逃れてきた芸妓おとめ座が移住し1800年代初期頃

花街音譜が形成されるようになった・・・

江戸の商人や文化人の奥座敷として使われ

交通の便も良く

隅田川沿いにあり風光明媚な街として栄えている

(柳橋で少し遊び猪牙舟(ちょきふね)で吉原に繰り出した・・・とも聞かれるが?)
明治時期には柳橋芸者が三味線弾きでは新橋の者より

格上で柳橋の者より

先に三味線音譜が弾けなかったという

そんな柳橋に所要ができ先日、寸暇でしたが一昔に

色っぽかった柳橋界隈に思いを馳せラブラブ

歩いてきましたあし




柳橋を歩く    柳橋を歩く
橋の欄干に芸者衆おとめ座をイメージした            江戸情緒ある「佃煮 小松屋」

かんざしのレリーフ                      柳橋の畔にあります


柳橋を歩く    柳橋を歩く
屋形船奥に柳橋が見える 目      神田川沿いを歩きあしアーチ状の柳橋が見えてきました



橋(やなぎはし)」は元禄十一年(1898)に初めて架けられた

神田川が大川(隅田川)にそそぐところにあったことから、その当時は

川口出口之橋(かわぐちでぐちのはし)と呼ばれていたが橋の畔に柳が植えられたところから

いつしか柳橋と呼ばれた

江戸時代、橋畔は船宿が並んで賑わった

幕末明治以降、柳橋は花柳界として名高い・・・

「春の夜や 女見返る 柳橋」・・・正岡子規がこの句を残したのを始め文人たちに

取り上げられたという


現在の橋は昭和四年に架けられたものでローゼ形式の橋だそうだ



柳橋を歩く    柳橋を歩く
柳橋から浅草橋を見る                柳が風に揺らぐ(撮影日は違います)


柳橋を歩く    柳橋を歩く
粋な黒塀があり情緒ある 和食 傳丸(でんまる)  伊藤博文も利用した老舗「亀清楼」



柳橋を歩く     柳橋を歩く    
浅草橋                            浅草見附跡の石碑

奥州街道を通るこの地は浅草観音への道筋に当たることから築かれた門は浅草御門と呼ばれ

警備を配したことから浅草御門橋と呼ばれ、いつしか「浅草橋」となった


浅草橋から下車し・・・神田川沿いを柳橋に向かい柳橋から浅草橋に戻り

周回してきました・・・お店は柳橋の佃煮「小松屋」横に日本料理の「亀清楼」があり

和食の「傳丸」は柳橋を向い神田川沿いの左側道一本離れた篠塚稲荷神社脇にあります

柳橋の江戸情緒を昼餉(ランチ割り箸)でも堪能しては如何でござるかな?ニコニコ




参考文献 東京都中央区・台東区教育委員会・ウィキペディア