(昨年の7月上旬に史跡巡りあしをいたしました画像等昨年度ですのでご了承ください)


JR日暮里駅電車を下車すると構内に散策マップがあり、いろいろなコースの案内が書かれていて

散歩が出来る親切なマップである(荒川区産業経済部観光振興課・台東区文化産業観光部観光課)


日暮里は風光明媚な場所で江戸時代には文人たちに好まれ浮世絵や文学作品の題材にもされ

日が暮れるまで過ごしても飽きない里という意味合いから日暮里(日暮の里)」の字を当てたと

言われています


日暮れの里を歩く      日暮れの里を歩く
都立谷中霊園のメイン通り(さくら通り)が続く     霊園内のの著名人墓碑


日暮れの里を歩く      日暮れの里を歩く
天王寺五重塔跡                        在りし日の天王寺五重塔


先に西側下車して目の前の谷中霊園を歩きましたあし

ここは江戸時代、旧谷中天王寺町で霊園もすっぽり埋まる天王寺の寺域です

夏(7月)の時期でしたが広大霊園敷地ですのでメイン通りのさくら通りでは散歩やジョキングしている

人たちが多く見受けられました

墓碑の著名な人では徳川十五代将軍「徳川慶喜公」・大名では松平家(高松藩主)・

酒井家(姫路藩主)伊達宗城(宇和島藩主)その他時代が違いますが高橋お伝(古着屋吉蔵殺し)

長谷川一夫(俳優・林長三郎)等・・・沢山眠っていますね


日暮れの里を歩く      日暮れの里を歩く   
                    徳川十五代将軍 徳川慶喜公の墓

日暮れの里を歩く      日暮れの里を歩く
       高橋お伝の墓                  高橋お伝(1850-1879)の解説板


知りませんでした・・・お伝さんおとめ座は貧困と差別のうちに男に利用され気の毒な人と・・・

見方も強まっていて、この碑にお参りすると三味線音譜が上手くなる・・・

今日も花束ブーケ1が絶えない・・と解説されています



日暮れの里を歩く     日暮の里を歩く

  長谷川一夫(俳優)墓所                 雲井龍雄(1844-1870)の碑

                                出羽国米沢藩士の家に生まれ少年時代は

                                天才詩人と解説板に記されている

                               

霊園入口を出て三崎坂を通り目的の「全生庵」に来ましたあし

どうしても幕末に活躍し「剣・禅・書」の達人でもある「山岡鉄舟」のお墓に伺いたいと思ったからです
この庵には他に落語家の初代「三遊亭円朝」の墓所もあります



日暮の里を歩く     日暮の里を歩く  
山岡鉄舟が建立した全生庵(ぜんしょうあん)            山岡鉄舟の墓

                                  (やっとお逢いできました!ニコニコ


日暮の里を歩く     日暮れの里を歩く  
    笠森おせん・鈴木晴信の碑                     解説板


大圓寺(だいえんじ)江戸の三美人(明和の三美人)の一人ともてはやされた

茶屋「鍵屋」の看板娘、お仙と彼女を描いた浮世絵師 鈴木晴信の碑が境内にあります
(詳しくは割愛したします)

お仙を葬った墓は中野区の上高田の正見寺にあります



日暮れの里を歩く       日暮れの里を歩く
      三崎坂(さんさきざか)                   菊寿堂 いせ辰           


かつて、この付近に住む坊さんが首を振りながら       江戸千代紙やおもちゃ絵の版元として

この坂を歩いたことから別名「首振り坂」の別名がある   江戸末期の1864年に創業した「いせ辰」
                                     ショーウインドーの江戸センスたっぷりの

                                     江戸団扇や波うさぎの手拭いが素敵です                                    

                                     

                                   
上記三崎通りを下っていきますとメトロ「千駄木駅地下鉄」が見えます

この日は食事・休憩なしで巡ってあしまいりました・・・ちと疲れました・・・次回は西日暮里側の

「道灌山」に向かいます・・・宜しくね!ニコニコ