三条大橋を渡る西詰に制札場の高札があった。
慶応二年(1866)九月、この高札を鴨川に投棄する
浪士が頻繁に出没したため十二日の夜
原田佐之助指揮の新撰組が出動した。
現れた浪士らと乱闘の末、土佐の藤崎吉五郎を斬り
宮川助五郎を捕縛。
これを三条制札事件という。
また、大橋を渡る途中の西側から二つ目の南北擬宝珠に
刀傷があり池田屋騒動の時についたのでは?・・・と
言われる擬宝珠を探しながら夕暮れの三条小橋に着いた・・・
擬宝珠に刀傷ありますけど?
この高瀬川を渡る小橋に
佐久間象山(信州松代藩)・大村益次郎(長州藩)の「遭難之碑」がある。
中央:佐久間象山・大村益次郎の「遭難の碑」 中央:「乙女の語らい」ってどんな味でしょうか?
象山は元治元年(1864)七月十一日に尊攘派の河上彦斎と前田伊右衛門に斬られ
益次郎は明治二年に三条木屋町にて反対派士族に斃され、同年白血症で死去しています。
この碑の先に目指す「池田屋」が数メートル先、右側に見えました・・・
「なんと!海鮮茶屋になっている・・・」今では様変わりにした店端に佇む
「池田屋騒動之址」の碑だけが往時の面影をしのばせています。
池田屋 「泣く子も黙る新撰組」・・・の名を一挙に高めたのが池田屋襲撃事件です
元治元年(1864)六月五日午後十時過ぎ池田屋に集まった三十数名の浪士たちを
その半数にも満たない新撰組が襲って大戦果を挙げた。
昭和六年(1931)に取り壊されています。
用心深く?・・・「御用改めである・・・」と言わないが
海鮮茶屋はなの舞の池田屋に単身突入?・・・
![もっと気軽に居合道! 熊谷道場 剣酔記-京都市中廻り其の三](https://stat.ameba.jp/user_images/20121027/17/samurai-ukikusa/5e/1c/j/t02200293_0768102412256979601.jpg?caw=800)
「いらっしゃいませ~」??柔らかい京ことば・・・
「おこしやす~う・・・おいでやす~う」の言葉は
聞かれなかったが?・・・
新撰組の半被を着た若い女性の店員が
元気な笑顔で迎える・・・
店内は新撰組一色のイラストやアニメで
若者人気のある「薄桜鬼(はくおうき)」のコラボで
若い人も多く来店するという・・
・一昔?「知る人ぞ知る?」・・・おじさん方の
懐かしい新撰組隊長、近藤勇役の映画俳優・
片岡千恵蔵ポスターが睨みを利かす?・・・
二階に上がる階段脇には新撰組の隊士の
イラストがズラリ・・・
左上:片岡千恵蔵の近藤勇・・・あまり知りませんよね?
「お客さん!こちらですよ!」・・・・・・と言われ一階に戻され個室ブースに案内された。
メニューは・・・と見ると「近藤勇・土方歳三・沖田総司・斎藤一・・・の宴会コースが並び
幕末の英雄が愛した?名物(迷物?)料理が並び刺身は
池田屋大階段七点盛り?船中五策盛り?
馬刺しは新撰組と関わりの深い会津(福島県)の名物料理・・・
とメニュー書かれてある(ネーミングが好いねえ~)
薄桜鬼のアニメ・・・拙者、知りませんでした・・ ラストオーダーは「千鶴のおにぎり
」
とりあえず・・・「若女将!「お酒!」
「新撰組決起の酒や船中五策の刺身五点盛り合わせ・・」を所望した。
ゆっくり飲んだり食べたり
の半刻(はんとき)=一時間・・・
最後は懐かしい味噌風味の「千鶴のおにぎり」を食べ
大変結構「おいしゅ~おした」「また明日来るね!」・・・と写真をパチリ
帰り際「局中法度」ではない・・・「観光法度書」が店にあった。
観光法度書
一、 士道二背キ間敷事 (武士らしく、行儀よく観光すべし。)
一、 観光地ヲ汚スヲ不許 (目で楽しみ、ゴミを出さぬ、持ち帰る。)
一、 勝手ニ撮影致不可 (撮影は許可のあるところでのみ行うべし。)
一、 私ノ騒乱ヲ不可 (見学では必要以上に騒がぬよう心得るべし。)
観光法度!ごもっとも!!承知仕り候。
「切腹がなくてよかった~!」
参考文献: 京都幕末維新をゆく・新選組散華