7月上旬のある日
JR渋谷駅から田園都市線に乗り換え三軒茶屋へ途中下車
三軒茶屋の碑があるとのことで駅周辺を探した
。
数分探したが分からず交番へ・・・「恐れ入りますが・・三軒茶の碑は・・」
交番のおまわりさんは「あぁ・・そこ・・そこ」と指差す・・・・
なんと手前にあったのです・・・「ええぇ・・これが碑
」・・と言うわけです。
三軒茶屋 江戸中期以降、社寺参拝ブームで賑わった大山道と登戸道の
分岐(追分)付近に信楽(後に石橋楼)・角屋・田中屋の三軒の茶屋が並んで
いたことに由来する。
交差点にある大山道の道標 三軒茶屋の由来 歴史案内プレート
さあて参りましょう スイカを使って乗る 旧車両が静態保存されている
松陰神社 東急世田谷線「松陰神社前」下車徒歩5分
鎮座地にはかつての長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した
4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の
回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。明治15年(1882年)11月21日
門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が造営された。
松陰神社 模造した松下村塾の建物
吉田松陰の墓 吉田松陰像
車両として300系が2両編成で運行、乗車賃は距離に関係なく140円と安い
豪徳寺 東急世田谷線「宮の坂」駅から徒歩5分
◆(夏7月上旬・初冬11月末の2度訪問し、直近の紅葉の時期の写真画像に
しました。)
1480(文明12)年創建のこの寺は、はじめ弘徳院といい、
領主の庇護をうけていた。ところが戦国時代に領主が滅んだため、江戸初期
には荒れ寺となる。それを救ったのが大名の井伊家だった。
三代当主・直孝が遠乗りに出て雨にあい、寺の門前で雨宿りしていると、猫が
やってきて手招きし、寺に入れと言うしぐさをした、不審に思った直孝がついて
いくと、今さっき雨宿りしていた門前の大木が落雷の直撃を受けたのである。
猫は寺の住職の飼い猫で、招き猫に命を救われた直孝は、寺に寄進して
新しいお堂を建てさせ、井伊家の菩提寺とした。彼の死後も寺は井伊家に
手厚く遇され、やがて豪徳寺と名を改める。
右-桜田殉難八士の碑
「右手をあげて福を呼ぶ」・・・招福猫児(まねぎねこ)
猫の像がずらりと並ぶ招福観音堂は、寺に繁栄をもたらした猫を観音様の
化身と考えた住職が、猫観音を彫らせて祀ったもの。ポーズはもちろん
招き猫で以来、招き猫人形は招福の象徴となり、江戸の町ばかりか日本中
に広まった。
世田谷代官屋敷 東急世田谷線「上町駅」下車徒歩8分
ボロ市通り沿いにある世田谷代官屋敷は、1737年に建てられ代々代官
として世田谷を治めた大場家一族が明治維新まで使用した屋敷で
東京都の史跡指定されており、その中でも表門、母屋は国の重要文化財
にも指定されています。
板敷き18畳分もある玄関広間や広大な通り土間や板の間
庭には罪人を取り調べるお白州もある。
敷地内に隣接する「世田谷区立郷土資料館」もあり、さまざまな資料のほか
古代から現代に至る世田谷の歴史も手軽に学ぶことも出来る。
ここも入館料は無料でした。 いかがでござるかな・・・
幕末の一時
特に「世田谷代官屋敷」は重厚なつくりになっていて江戸の風情・香りが
いっぱいである・・・代官大名領の屋敷としては都内唯一でもある・・・。
ではいづれ又・・・・
下記の文献などを参考にさせていただきました。
・東京・江戸散歩 おすすめ25コース 江戸歴史散歩愛好会