前回のつづきです。
浅草寺に足を向けたが浅草寺の発祥は「駒形堂」・・・と聞いていたことがあり
(駒形堂) (隅田川と吾妻橋)
古めかしい質素な小堂には、往古の言い伝えが残っている。
推古三六年(六二八)三月の早朝、宮戸川(隅田川)で漁をしていた檜前浜成と竹成の兄弟が打った網に、一寸八分(約5.5センチ)の木像がかかった。
その木像を持ち帰って主人の士師真中知にただしたところ、はたして聖観音像であった。そこで真中知は、その像を祀る小堂を建てた。・・・というのが、駒形堂の由来であり、浅草寺の発祥である。
さて仲見世通りを北上して200メートルほどで浅草寺の雷門に出る
浅草寺は、江戸時代には徳川将軍家の祈願所となった。
慶安二年(1649)に三代将軍家光が再建した本堂は、いくたびも江戸の大火をまぬがれたことから「観音様の御霊験」と評判をよんだとか。
隅田川から網ですくわれた聖観音像の言い伝えは、江戸の人々の心に刻みこまれ
ていたのだ。
雷門をくぐり仲見世に入り、いろいろな国の言葉が飛び交う中、本堂前で
「ほおずき」を手にした美人芸者に出会った
。
着物が似合い・・・あまり綺麗だったので思わずショット
観音様の縁日は通常「毎月18日」ですが室町時代以降に「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。この日に参拝すると、百日分、千日分に相当するご利益が授かるとされた。中でも7月10日のご利益は千日分で、「千日詣」と呼ばれていましたが浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、四万六千日分に相当するご利益があると言われるようになりました。
そうして7月9日・10日には「ほおずき市」が開かれるようになりました。
残念ながら拙者の参拝日は2日早かったのでご利益に相当しませんが
美人芸者に会える機会があったのが今日のご利益なのです・・・・
その後は・・・・です。
江戸庶民の風情を伝える浅草周辺は、まだまだ奥が深く、又の機会に訪れることに
●下記の文献等を参考にさせていただきました。
東京のお江戸をめぐる散歩コース50著者 夢プロジェクト「編」河出書房新社
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