2012年10月27日(土)
午前11時21分 待望の赤ちゃんが産まれた。

23日から陣痛始まって、病院行っては間隔が間延びして帰されること3回、ようやく出てきてくれた。

早い段階でエコー画像でおちんちん見つけたから男の子と決めうちし、名前も魁斗に決定し、洋服もたくさん買って準備万端。

『おめでとう! 女の子ですよー』の助産師に言われ、めちゃめちゃ苦しんだ嫁と2人で『エーーーッ』と言ってしまったが、4日間も寝ずに苦しみながら頑張ってる嫁を見てるともう、性別なんてどっちでもよかった。
子供もしっかり泣き、出血が多かったがしっかりしてる嫁を見て、自分でもびっくりするぐらい泣いてしまった。
幸せで安心して何とも言えない気分だった。

嫁が『この4日間はドラマか映画が作れる』と言っていたが、確かに大変な4日間だった。

でも、ラストシーンは新喜劇みたいになっちゃうかな?
photo:01

photo:02





iPhoneからの投稿

おばあちゃんが死んだ。


あと、1か月半でひ孫の顔を見せてあげれたのに。


孫の中でも1番、面倒も心配もかけた。


ボケちゃって俺の名前も時々しか思い出してくれないけど・・・


内孫の長男で両親共働き。今思うと平日はいつも面倒見てもらっていた。


俺のウソやいたずらも全部わかってて、だまされたふりをしてくれていたのかな?


タイに住んでたら通夜も葬式もでれなかったと思う。


帰国して一番良かったことかもしれない。



おじいちゃんの時はあんまり手伝いとかもできなかったから、おばあちゃんの自宅最後の夜は少しだけ


一緒に居よう。ろうそくも線香も消えそうにないし、妊娠中の嫁も心配だけどこんなことしかしてあげれない


天国でおじいちゃんとまた、派手な喧嘩でもするんだろうか?



でも、ボケはじめた時、死んだおじいちゃんがまだ、仕事から帰らないと心配してたから


いい夫婦だったんだろうな。おじいちゃんの出棺のときも泣いてありがとうなと言っていたし。


保育園のお迎えはいつもおばあちゃんだった。


友達はみんなお母さん。それがうらやましく、ひどい言葉をあびせた記憶がうっすらとある。


ごめんね。


社会人になってからもお小遣いもらったり、お年玉もらったり、しょうもない孫だったかな?


そんな孫も嫁ともう少しで生まれてくる子供の為に、一度はあきらめた人生を取り戻そうと


結構がんばってるつもりだから、これからも見ててください。



やっぱ、俺は見てなくてもいいから、ひ孫の成長を見守ってください。



感謝してもしきれないけど、ありがとう。


弟夫婦に子供が産まれて3週間。

我が子はあと2ヶ月。

待ち遠しい。

弟の子供、そんなに可愛く思わないと思ったが、ヤバイぐらいにかわいいね。

嫁も夜勤明けの旦那をほったらかして、会いにでかけてく。

異国でずっと家に居るのもつまんないだろうから、ちょうど良かったかな。
photo:01





iPhoneからの投稿