少し前に、高学歴と言われるでしょう高校生がAO 入試について知りたいというので少し話しをしましたが、
頭がいいことが大事、学歴は努力の証とか、現代の高校生もそういうことで自分の位置を決めているのね、
むむむ・・・AO入試じゃないんじゃない?と思いながら、Abemaで流れてきた
“学歴モンスター”wakatte.TV「高学歴は旧帝大以上」に、ひろゆき「低い人を迷惑系YouTuberみたいに罵倒する必要ある?」をみました。
個人的には、私もそう思うけど、
そもそも日本は学歴重視なのか。鈴木氏は、「日本が学歴社会だとあまり思ったことがない」との見方を示す。「新聞社に入って、中央も法政も早慶も東大もいたけど、給料は一緒だし、院卒ともほとんど変わらない。私はAV女優だったから学歴がフィーチャーされているだけで、会社員だった時に誰も学歴なんて聞かない。会社は大学のことを見くびっていて、学部で学んだことなんて関係ないと思っているから、いろんな部署に飛ばされる総合職入社なわけだ」。
なるほどねぇ、『学歴』を大事に思って勉強することは悪いことではないと思うけど、『相手を見下す』というのはどうなのかな?
いくら学歴があっても『教養』がない人になっちゃうんじゃない?ということについては考えなくていいのかな?
と思いながら、悪気は全くない子どもたちとの会話を思い出してみました。
小学生の低学年の生徒さんが『ホームレス』キモい、クサいと言っていたり、ホームレスごっこをしたいと言ったり、日本のお笑いの罰ゲームとかにもあるけど、弱者におかれた人をイジってみんなで笑うみたいのが小学生もできてしまうのですよね。
LGBTQ、トランスジェンダー、貧困などなどのタイトルがつけば、いじめてはいけない! 助けなくては! どんな性別でも平等な権利がある! ありのままでいられるように!っていうんだけど、
自分のクラスで起きているイジメっぽいことについては、積極的に加担はしないけど、いじめられてる子にも非があるから仕方ない、自分はやってないし、みたいなことを言っていて、
どうして?と聞くと、だって、その子がちょっと変というか・・・・その子が大袈裟なんだよね・・・男の子なのに女の子みたいで・・・・小学生も中学生も高校生も、同じようなことを言っていたのです。
話しを聞いていくと、『図書室にLGBTQに関する本が1冊しかなくて生徒がさわれないところにおいてあった』『みんなに聞いてみたら知らなーい、キモいーって言ってた人もいた』というようなことを言っていたので、
学歴のための勉強はたくさんしてるけど、『教養』の学びがないの?と考えてみて、確かに、私もそうだったと思いました。息子がインターに通った事で『教養』を考えるようになった、これが『教養』です!という学び方ではないけれど、ものすごく大切にされていたと思います。
学歴もそうだけど教養も学ぶものですね。
あ、この教養の部分を理解してたら、AO入試は難しくないと思います