「これー、本当にそう」と思った動画、
教員を目指す大学生からの質問に対して、岡田先生がお話しされていく中で、こう話されています。
あの教室で教える道徳の授業って
生徒たちがですね、自然とあの教師が考える正解を探しちゃうんですね
で、教師が考える正解で推理して、
さっさとそれを答えて、はい道徳の授業終わり!っていう風に、
考えることを放棄してしまうと、
これがね、ありがちなんですよ
岡田先生は、『これをさせないのが教師の役割だと思う、ほっとくとこういう風になっちゃうのですね』と仰っていて、
「これー、本当にそう」と、思ったのでした。
道徳の授業だけでなくて、なんの授業でも、
生徒は『教師が考える正解で推理して』を、考える、と理解していると思う。
教師なのか、大人なのか、社会なのか、どこからか受けているからそうしているだけで、子供のせいとか、できないからとかそういうことではない。
ここに書いた、どんどん高度になる『空気読むスキル』も、こういうことに関係しているでしょう。
生徒が『教師が考える正解で推理』する能力が高いと、
テストの点数が良くなって、成績が良くなる、となると、偏差値も上がって、頭がいいとなる。
日本の勉強が、正解を当てるクイズみたいになっている限りは、そうなると思うので、それがいい悪いではないけど、
『教師が考える正解で推理』するための能力と、生徒が自分で考える能力は、同じではない、
『教師が考える正解で推理』することは、生徒が自分で考えているわけではない。
『教師が考える正解で推理する』能力が高ければ高いほど、『考えることを放棄』してしまっている。
考えるという練習の機会もないまま、偏差値が上がって頭が良くなってしまうと、考える方法もわからなくなってしまって、
つまり、そうなってから、いくら『自分の意見を言いましょう』、と言っても、無理というか、ものすごく大変なのです。
何が大変かといえば、
まず、『教師が考える正解で推理すること』を考える、としていることは、考えていないということに気がついて、『教師が考える正解で推理すること』やめなければならない。
でも、そうしたら成績は下がる、周りに努力できない人とか、馬鹿だとかいうレッテルを貼られてしまう。
加えて、多くの親世代も、『教師が考える正解で推理』することを考えるとして、それができることを頭がいいという価値観で育っていたとしたら、『教師が考える正解で推理』できることを、『頭がいい』として、褒めるでしょう。
実際に、何年か前に、
『うちのお母さんね、先生の正解がわかるの、だから勉強しなくても答えがわかっちゃうんだって、私もそれが遺伝してるから、私も正解がわかるの、だから頭がいいの』と言っていた子いました。
その子は一番になりたい、一番が好きという子だったので、『教師が考える正解で推理』することをやめなかった、それどころかもっとその能力を磨いて成績が高くなり、自分の思う『できる子』となった。
そのできる子がIB校の入試にチャレンジしたら、『学校が考える正解で推理』して書いたエッセイは『できる子』ではなかった。。。
『学校が考える正解で推理』して書くことが正解ではないと、そこまで推理できていたけど、それ以外の方法、自分の考え、意見を持つ方法を知らなかったのでしょう。
成績が高いことが頭がいいとされる、『学校が考える正解で推理』それが通用するのは、その環境だけ、『教師が考える正解で推理』する能力は、日本のクイズ形式のテスト、センター試験の点数は高められるけど、、、
『教師が考える正解で推理する』能力が高ければ高いほど『考えることを放棄』してしまっている、
子供たちの能力は限界がない、そんな素晴らしい子どもたちに『考えることを放棄』するスキルを高めてしまうのは、ものすごーくもったいない、
いやそれどころか、
AIが進化していくこの時代、取り返しがつかなくなってしまうのではないでしょうか?
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